「イエス様の本当の父親は誰なのか?」
文先生が教えてくださったので、統一教会食口であれば誰でも知っていることと思います。
それは、ユダヤ教の祭司であり洗礼ヨハネの父親でもある「ザカリヤ」です。
ウィキペディアで「ザカリヤ」を見てみると「イエスの実の父親だとする説」という記述がありました。どうやら、文先生以外にも何人かの方が、「ザカリヤ父親説」を主張しているようです。
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<イエスの実の父親だとする説>
「ザカリアとエリザベツは老年に達しており子がなかった。エリザベツの親戚のマリアがザカリア夫妻の家を訪問し3カ月滞在した。マリアはその直後ヨセフとの婚約を急ぐが、そのさなかマリアの妊娠が発覚した。」(ウィキぺディアより)
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多くのクリスチャンは、聖書の記述通りイエス様は聖霊によって身ごもったので無原罪で誕生されたと信じているわけですが、文先生の説明は違います。
原罪が無いとは、聖別された胎中から神様の血統として生まれることであるとされています。
その胎中聖別が成されたのが、旧約聖書に出てくるタマルの時だと文先生は言われました。
命がけで神の血統を残そうとしたタマルの信仰心を、マリヤが受け継ぐことによってイエス様が無原罪のメシヤとしてお生まれになったとされています。
しかし、実際に神の血統を残すためにタマルやマリヤがとった行動は、当時の常識から考えれば死罪にあたるものでした。
このように、神様の摂理には常識的にはあり得ないような事が、実は摂理の奥義である場合があり、文先生が聖書を解いてくださらなければ、私たちの認識はタマルはただの不倫の女でしかなかったわけです。
さて、ここで私はあえてこの公式をお二人の方に当てはめて考えてみようと思います。
当然、常識的にはあり得ないという状況になることが予想されますし、「ザカリヤ父親説」と同様に確たる証拠を示すことはできません。
しかし、当然検証、研究されなければならないテーマであろうと思われます。
次回は「文先生の本当の父親は誰なのか?」を書こうと思います。
それまでにご意見のある方は是非お寄せ下さい。