नमस्ते 導明です。
 
インド占星術とか言って個人の物質的欲望に主眼を置いた占いではない。
 
私とは何かを知る為の哲学占星術と訳せば良いだろうか?
 
インド占星術をやってる人たちが惑星と表現するものがあるが、彼らはその本当の意味を理解していない。
 
ジョーティシャでは、彼らが惑星と呼んでいるモノをグラハと呼ぶ。
 
グラハは、別名をグラハナと呼び訳すと掴むもの、蝕するものという意味となる。
 
ジョーティシャの診るクンダリー(出生図)とインド占星術をやってる人たちの言うホロスコープは見た目は同じでも意味が全く違うのだ。
 
ジョーティシャのクンダリーでは、第一分割図を意味するラーシ•クンダリーのラーシは、ラーフシキという言葉の略である。
 
ラーフは、そのままラーフを指していて、シキはケートゥのことである。
哲学的な解釈をすると、ラーフはラーガ(欲望)を指しケートゥはドゥヴェーシャ(離欲)を指す。
 
つまり、生物は単純に好きと嫌いの軸を持ち生まれて来ていることを意味している。
 
多分、彼らはそのことさえも理解していないだろう。
 
ジョーティシャには、意味として【聖典の智慧の光】と言う意味が含まれる。
 
5年くらい前までの日本のインド占星術師は、聖典を軽視する者が多かった。
 
現在は、ヴェーディック•アストロロジーの有名な先生方がYouTubeなどで公開講座を行なってくれていることもあり、それらをいち早く取り入れた人たちが旧態依然としたインド占星術から少しずつ離れ始めた為、日本のインド占星術業界が混沌として来ている。
 
旧態依然とした日本のインド占星術では、2000年当初からKNラオ氏の流派が正統派のように、広められて来た。
 
しかし、現地インドではモダン派と呼ばれていて、伝統的なジョーティシャとはスタイルの違う位置付けとの話を聞いた。
 
そもそも、正統派のスタイルを謳う者がヴェーダの学問であるジョーティシャに、因縁深きムスリムの象徴であるタージ•マハールの画像を使ってホームページを作ったりはしない。
 
つまり、正統派を謳いながら伝統から外れる行動を取るのはグルジ(師匠)に対する非礼となることさえ理解していないことになる。
 
インド占星術というネーミング自体、あのカルト集団オ○ム真○教が信者獲得の為に用いた名称であると知らずに使っている人が現在では大多数である。
 
名は体を表すという言葉の通り、日本のインド占星術とヴェーディック•アストロロジーではレベルの点で雲泥の差がある。
ヴェーディック•アストロロジーと比べるなら、日本のインド占星術は赤子の遊び程の差があるのである。
 
最近チラホラとサンスクリット語を学び、聖典を学び出す人たちが増えて来ているが、かなり今更感が否めない気がする。
 
サンスクリット語を学ぶことは大切だけど、学び方を間違えている人も多い。
いきなり文法を習っても、難しいのは否めない。
ジョーティシャは、元々ヴェーダンガと呼ばれる6補助学の一つであり、このヴェーダンガにはジョーティシャの他に音声学、韻律学、語源学、文法学、祭祀学がある。
文法学だけを学んでも完全ではないということになる。
でも、まだサンスクリット語や聖典を学ぶだけ立派な志なのかも知れないと思う。
 
インド占星術とジョーティシャは、本質的部分で全くの別物だと私は思っている。