昨日、ある腎臓病サポート団体が開催する勉強会に参加して来た。

私自身、まだまだ知らないことばかりで恥ずかしくもあり、また勉強になった点も多く有意義な時間を過ごすことが出来た。

その中で、患者会やサポート団体の会員になる意味について深く考えさせられたことがあった。

私自身、そうした会やサポート団体の会員ではない。

でも、よくよく考えてみるとそうした団体の活動により現状の受けている恩恵が大変有難く且つ過去にその事で苦労された先人たちの努力の上に、今生かされている事を知ることが出来た。

東京の透析患者は、医療費の自己負担がない患者が多い。

しかし、患者の認識と言えば透析患者だから医療費は無料になる。

もちろん、国保や社保は払っているがどんな医療を利用しても自己負担はない。

でも、ちゃんと医療費は発生している。
では、この発生した医療費は誰が払っているのだろうか?

それは、多くの方が納めた税金から払われている。

一人当たり、年間で薬代も含めると600万くらいになる。

今や平均的国民の年収が400万と言われている時代にあって、医療費だけで600万である。

普通に考えても年収と医療費の乖離に目を疑いたくなる。

つまり、普通に働いて得られるものでは足りないのである。

尚且つ、透析患者は普通には働けない身体である。(一般的健常者と同じという意味)

昨今、話題にもなっている福生の透析中止患者の死亡した事故についてであるが、昨日開催された勉強会でも話題になっていた。

「選択肢としての死」

しかし、死を選ぶことの前に自分が何故病気を患ってまで生きなゃならないのか?

を患者は考えなくてはならないと思う。

多くの自分と同じような透析患者を見て思うのは、受けている多くの恩恵を理解も認識もせずに、更に自己の欲求を強く主張する患者が多いことである。

透析患者は、多くの納税者によって生かされていることを理解した上で、自らのQOLの向上に邁進しなくてはならないのだと強く思った勉強会でした。




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