नमस्ते  namaste

 

こんばんは♪

 

ご訪問ありがとうございます。

 

頼夢です。

 

台風の影響で、荒れた天気になりそうな月曜日・・・。

 

今年で私の母が亡くなって、明日8月22日で丸3年になります。

 

母が息を引き取る数時間前に、宇多田ヒカルの母親「藤圭子」さんもこの世界から旅立ちました。

 

今も時々考えるのですが、母は沢山の想いを残して旅立ったのではないだろうか?

 

そんな風に私は思うのです。

 

インド哲学を学び、ジョーティシャを学ぶ上で知りえたことの中でダクシナ・アヤナに生涯を終えることは後悔を多く残しての旅立ちになるという話を聴いたことがあります。

 

ダクシナ・アヤナとは夏至から冬至まで期間のことを言います。

 

そのように考えるならば、母は120日の間病院のICUでずっと寝ていました。

 

生命維持装置を装着され、1か月が過ぎた辺りで気管切開までされて、それは見るに堪えない姿でした。

 

ICUの処置が遅れたことによる低酸素脳症で植物状態になって。

 

現在、裁判沙汰になっているあの天皇陛下の心臓オペをした順天堂の天野副院長率いる心臓外科チームが母の執刀を行い、オペ中にも幾つかのミスをしていたようです。

 

術後の説明で気道を確保する為にと言っていましたが、口の中に器具を挿入する際、歯を折ってしまいその歯が食道に入ってオペ自体が遅れるトラブルがあったとの説明がありました。

 

そもそもICUって集中治療室のことであり、そこで急変に対応出来ないって何か変な感じを受けました。

 

しかも、患者家族には面会の際に手洗いを厳守させている割に、製薬会社の人とかは外から平気で台車を押してICUの中を手も洗わずに通行していたり・・・

 

順天堂本院のハートセンターにあるICUって大丈夫なの?という感覚を持っていました。

 

3年も経って、今更恨み事を言っても始まらないのでこの辺にしておきますが、あの病院は個人的にはお勧めはしません。

 

どれだけ時間が経過しても、たぶんこの日が来ると思い出すのかも知れません。

 

私たち家族に取って、母は大切な存在でしたから。

 

母の仏前に座り、もっと沢山のことを母から学んでおくべきだったと改めて今は思います。

 

明日は、母の好きだった百合の花を仏前に供えて母と心で話したいと思っています。

 

 

人は誰でも、何時か必ず最期の時を経験します。

自分より先に旅立った人を偲ぶ時間は、きっと何か大切なことを思い出させてくれるのかも知れない。

 

私はそんな風に思っています。

 

 

 

 

頼夢