नमस्ते namaste
ご訪問ありがとうございます。
どーも、頼夢です。
私の住む、東京都ですがテレビでも騒がれている通り
都知事選挙のことで、わちゃわちゃしていますね。
有権者の一人として発言するならば、私利私欲まみれの候補者しか立候補していないなぁ~というのが私の第一印象でした。
立候補者のことは、隣に置いておいて
テレビの街頭インタビューのワンシーンで、インタビューを受けていた白髪交じりの人が答えていたことが耳に止まりました。
その人は、インタビュアーに次の都知事になる人に求めることはありますか?
と質問されていました。
答えは、次の都知事には是非とも老人福祉に力を入れて頂きたい。
そのように答えていました。
その回答を聴いて、私が思ったのは長生きすることって、どんな意味があるのだろうか?
ということでした。
ごく一般的な人が言う「長生き」や「長寿」を望む声が多いが
何故、長生きしたいのか?と尋ねると他愛もない理由が殆どである。
老人福祉に力を入れて欲しい?
老い先短い人間の為に福祉を充実させて欲しいというの気持ちは分からなくもないが。
無駄に長生きされることの方が国にとっても、それを支えている世代にとっても負担でしかないのに。
孫の顔がみたい、人生を楽しみたい、もっとお金を稼ぎたいetc・・・。
こんな他愛もない理由で長生きしたいというなら、申し訳なけけど
早く彼岸に行ってください。
それが世の為、人の為になると思うのです。
サンスクリット語の一節に、こんな言葉あります。
आयुरारोग्यं वृद्धये
āyurārogyaṃ vṛddhaye
「無病で寿命が増えますように」という意味の言葉です。
つまり、長寿でありたいという意味の言葉です。
でも、この言葉が意味している本当の部分というのは
何の為に長寿でありたいのか?
何の為に長生きをしたいのか?
ということを問うているのであって
いわゆる「無駄な長生き」なら生きる意味がないということも同時に含まれているのです。
人は、誰かの為に生きているのではなく、自分の為に生きているのです。
自分が長生きしたい理由が誰かの為とか、欲深さによる理由なら
それは、害でしかないのだと思う。
自分の生きる理由と生かされている理由を考え、それを達成する為に長生きをしなければならないと願うなら、それは叶うかも知れません。
しかし、無駄な長生きならばしない方が誰に迷惑を掛けることもないので余程良いことだと思います。
無駄な長生きほど、人間を欲深くさせてしまうのですから。
生きることの本質は、自らが作り出した苦しみに耐えること。
それはタパス(苦行)なんだと思います。
人は決して楽しむ為に生まれて来ている訳ではないことを知る事。
それが自らの人生を理解することになるのですから。
頼夢