こんばんは♪
あまりの暑さに、一日で「Tシャツ3枚」も着替えてしまった頼夢です。
はい、今からの時期は・・・デブにつらい季節です。
今日は、久しぶりに哲学の勉強会に行ってきました。
ヨーガスートラの授業が行われるというお知らせを見て、未だ参加したことのない授業だったので、楽しみ半分と不安が半分という気持ちでの参加でした。
参加者の一人が7月10日のラタヤートラにダーナする目的で、トゥルシーとブラフミーの苗を育てて、欲しい人に販売するとのことだったので、トゥルシーの苗を購入してきました。
鉢や花壇に植えれば、根がせり出てきて定着するというので、早速明日にでも花壇に植えようと思っています。
勉強というのは、幾ら学んでも学切れるものではないというのは承知しているのですが、また今日も一つの気付きを頂きました。
先日、とあるブログでバガヴァッドギーター9章27節を引き合いに出してコメントをされている方がいたのですが、その内容が示す本当の意味を、まさかヨーガスートラの授業で教えてもらうとは思いませんでした。
ギーターの9章27節でも出て来るのですが、バクティ(bhakti)という言葉の意味。
「あなたが行うこと、食べるもの、供えるもの、与えるもの、苦行すること、それら全てを私への捧げ物とせよ。アルジュナよ。」
この「それら全て」が今までの認識だと「行為」という言葉に集約されると思っていたのだけど・・・
実は、これって自我意識=エゴが行うこと全てという意味であり、それがバクティ(bhakti)=献身が本質的に意味することだということを知りました。
これ以外にも、ギーターを読んでいるだけでは知り得なかったことも学ぶことが出来ました。
ヨーガスートラは、私には縁がないと思っていましたが
どうやらそんなことはないみたいです。
インド哲学は、本当に奥が深いという感想を改めて感じた授業でした。
本当に、透析後で少し無理はしてしまったけど、授業に参加出来て良かったです。
頼夢