偶然が重なったのか?


それとも、これは必然だったのか?


久しぶりにインド哲学の勉強会に参加して


受講したバガヴァッド・ギーターの内容が私には


あまりにも、現在来日中のムヒカ大統領と重なるように思えてならなかった。


今回のバガヴァッド・ギーターは4章20節を学んだのだけど


その詩節に書かれている内容が、ムヒカ大統領の発言と被っているように思えてならなかった。


ギーター4章20節には、このように書かれている。


「行為の結果への執着を捨て、常に充足し、他に頼らぬ人は、たとい行為に従事しても、何も行為をしていない。」


ムヒカ大統領がリオ会議のスピーチで発言した内容の本質的な部分とギーターの4章20節は、共通する部分があると思った。


ムヒカ大統領の発言:


「貧乏な人とは、少ししか物を持たない人のことではなく、無限の欲があり、幾らあっても満足しない人のことだ。」


ムヒカ大統領の発言内容の真逆のことをギーターでは述べている。


ムヒカ大統領が言う「幸福な人」とは、まさにギーターで述べられている内容そのものなのである。


そのように考えるならば、ムヒカ大統領という人は覚者に等しい存在と言えるのかも知れない。


そのように感じた。


今日ほど、学びとは時期を選ぶということを感じた日はない。


ムヒカ大統領が来日中に、自分の学んでいるモノの内容と深く共鳴している講義が行われるという幸福な出来事に遭遇するなんて夢にも思わなかった。


こうした些細なことにも、満足することが幸福への一歩なのだと思った。