ベッドに横たわり、ただ白い天井を眺めていると、ある極道の親分さんのことを思い出す。

その親分さんとは、10年ほど前に出会った。

私が目の手術をして、まもなくのことだった。

その親分さんは、末期癌で余命も告げられていたらしい。

その当時、私は喫煙の習慣があり病室より喫煙所で過ごす時間が長かった。

目の手術をしたばかりで、輪郭がわかる程度だったが、その分聴力が異常に鋭くなっていた。

その親分さんは、胃瘻をしていて常に点滴棒を転がして喫煙所に現れるのだが、その親分さんが来ると皆が一斉に喫煙所から姿を消してしまうのだった。

いつも、喫煙所には私と親分さんの二人だけになる。

私は、目の手術後で常時下向きだった。

ある日、それまで話をしたこともなかった親分さんから、こう声を掛けられた。

兄ちゃん、いつも下向いてるけど何か良いもんでも落ちてるのか?

その質問に、私は落ちてるかも知れないけど、俺には残念だけど見えないんですよ。

と答えた。

すると、親分さんは笑いながら、そうか!今は見えなくても、その内に見えるようになる。

だから、安心しな!

人間、生きてりゃ良いことの一つや二つは誰でもある。

だから、上を向けるようになったら下を見ないで懸命に生きろ。

そう、激励されました。

それからというもの、親分さんの体調が良いときは一緒に喫煙所で、親分さんの若かった頃のことや人生哲学についての話を聞いていました。

皆が忌み嫌い近寄らない人でしたが、私には何故皆が忌み嫌うのかが理解出来ませんでした。

社会に出れば、反社会的勢力の人だったのかも知れません。

でも、病院にいる間は一人の人間であり患者という立場は同じはずなのですが。

親分さんが亡くなる前の日に、家族に付き添われて喫煙所にやってきました。

私が、Kさん具合悪いなら無理しないでください。

というと、兄ちゃん人間上見て歩かなきゃダメだぞ、わかったか?

と辛そうにしながら、私を激励してくれました。

その日の夜、親分さんは集中治療室に運ばれ、そのまま旅立ちました。

次の朝、喫煙所に行ってみると家族の方がいて親分さんが亡くなったことを聞かされました。

家族の方から聞いたのですが、生前の親分さんが私だけが話を嫌がらずに聞いてくれ、話し相手になってくれる倅みたいな奴が出来たと喜んでいたそうです。

私は、親分さんから色々なことを学びました。

今、私がどんな事にも前向きで居られる要因の一つは、親分さんが最後にくれた激励があったからだと思います。

兄ちゃん、人間上見て歩かなきゃダメだぞ、わかったか?

今も、私の心の中心にある言葉です。