この世界には、沢山の「自由」と呼ばれ、表現されるモノやことがある。


でも、どのくらいの人が、真剣に「自由」について考えているのだろうか?


そもそも「自由」って何?


そのように質問されたら、あなたは明確な回答が出来るだろうか?


私は、未だ勉強不足なので「誰もが納得するような明確な回答」は出来ない。


そのように答えます


最近、よくメディアなどの媒体で「表現の自由」なんて言葉をよく耳や目にします。


かく言う私たちが書くブログも、その「表現の自由」という土台の上に成り立っているモノの1つです。


しかし、表現の自由だから何を書いても表現してもいい。


という訳ではないことは察しの通りです。


自由と名の付くものには、必ず守らなければならないルールや義務、責任が生じます。


だから、本質的に見れば「自由」と言いながら、自由ではないということになる。


それは、何らかのルールや義務、責任に繋がれ、結びついているからこその自由であることを理解しなければならない。


つまり、ある一定の範囲の中でという「限定」されたモノが、私たちが自由と呼んでいるモノなのです。


ネットの国語辞書で、自由について調べてみると以下のように定義されています。(goo国語辞書から引用)


1.自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。


2.勝手気ままなこと。わがまま。


3.《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。


4.法律の範囲内で許容される随意の行為。



1~3のどれもが、個人の主観や価値観によるものとなっているが


最終的に「4」で示されている通り、ルール(法律)という枠組みの中でのみ許されえるモノということになっている。


以前、インド哲学のクラスで教えてもらったことの中で、人間が自由に出来るモノは「瞬きする時間」だけだという話を聞いたことがある。


人間というよりも、生類全てにおいて「そもそも」自由というモノは、存在しないのだと私は思う。


だからこそ、人は自由を求めるのだと思う。


人が自由と呼ぶモノは「3つ以上の選択肢がある」という点であり、それ以外の動物には選択肢が2つ、つまりYESかNOしかないという部分の違いなのだと思う。


自由ということを考える上で、ルールや法則というのは切り離して考えることが出来ないモノとなる。


突き詰めて行けば、切りがないので、また別の機会に記事に出来たらと思う。


ただ、自由を口にする時にはルールや法則に従うことが前提となる為、ルールや法則を無視するならば、自由は求めても手にすることが出来ないということだけは、ハッキリと言えることなのだと思う。