全世界の人口72億4268万人(概算値)


これだけの人間がこの地球という星には存在している。


しかし、これだけの人間の中で「この瞬間でさえ、意識を使って生きている人」というのは、恐らく【0.01%】居るか居ないかというところだろう。


いや、もしかしたら限りなく100%に近いくらい存在しないかも知れない。


人間は、意識が無ければ生きれる訳ないだろ?


そのように言う人は居るだろう。


しかし、心臓を意識的に動かして生きている人を私は見たことがありません。


心臓は、意識しなくても勝手に胸の奥で動いています。

そして、何よりもフィジカルなことを言っているのではなく、精神性の上で「どれだけ意識を使って生きているのか?」ということが言いたいのです。


一日が終わり、ベッドに入って眠りに堕ちる。

そして、また翌朝には当たり前のように目が覚めると思っている人がどのくらいいるのでしょうか?


眠ったら、翌朝目が覚めるのが当然であると過信してはいませんか?


私も目が覚めるのが普通だと過信している一人でした。

私が何故、このようなことを書くのか?


それは、昨晩時間にしてどのくらいかはハッキリしませんが・・・

恐らく心臓が停止したと思われる瞬間がありました。


人は、死ぬ間際に「走馬灯のように過去の出来事を見る」といわれています。


自分に起きた出来事だけでなく、その起きたことに付随することまでの全てを見るのが走馬灯と呼ばれる現象です。


幾つかの時代(職歴)を通して、過去に自分で把握していることと、それに関連する人の思惑や私の居ないところでの発言の全てがリフレインされたのです。


そして、でもそれが何故か起きた出来事も影で囁かれたことも、その全てが納得出来てしまう私が居ました。


次の瞬間、おまえの人生って何から何まで中途半端だな?


自分に甘え、人の厚意に甘え、病気だということに甘え、自らが障害を持っていることに甘え、何から何まで「甘えている」


おまえはやり遂げたつもりかも知れないが、それは全て逃げているだけ。


哲学の勉強だって、会場で体調が悪くなったら迷惑を掛けるからと理由をつけて行かない。


占星術だって、自分の理解力に自信がないから、もう一歩を踏み出さない。


鑑定だって、無料だったらやらないとか、イチイチそれらしい理由をつけている。


今のおまえは、逃げているだけだろ?


これで、おまえは終わってもいいのか?


という言葉が響きました。


そして、次の瞬間・・・


起きなきゃ、まだ終わりにしちゃダメだ。


そう思うのですが、身体がまるで鉛の塊のように重くて動かない。


その次に、自分が呼吸をしていないことに気付きました。


あれが意識というモノなのかは定かではありませんが、とにかく動かない身体を動かそうとしている自分、息苦しさを感じて慌てている自分をハッキリと自覚しました。


それを自覚した瞬間に、突然静かだった空間にバクッ、バクッという音が響き出しました。


そして、飛び跳ねるように上体を起こして目が覚めたのです。

時計を見ると午前4時10分でした。


目覚めた後、肩で呼吸するくらい息が上がり、心臓が激しく拍動している感覚がありました。


その後、約1時間くらいは動悸が激しく再度眠ることは出来ませんでした。


今、思うとあの声の主は誰だったのか?


今まで、如何に意識を使わずに無意識に生きてきたのか?

意識を使って生きるということを改めて考えさせられました。


意識を使わずにいるということは、時間を無駄にしているということでもあり、何もプラスになることは生み出さず、また成長もしない。


ただ、本能に任せ無意識に時間を過ごすだけなら、人間である意味もないということだけは、ハッキリと理解出来ました。


私が人間として生まれてきた理由を・・・


そして、意識を使って生きるということを、もう少し深く瞑想したいと思います。