わたしが離婚した理由は、長年の夫とのディスコミュニケーションから抜け出したかったことと、もう一つあった。

 

 

好きな人への想いは、状況に関わらず変わらない。

たとえ一杯のお茶を飲むためだけでも、彼と会うのなら、夫には嘘をついて出かけることになる。

黙っていることも嘘の一種だから。

そして、彼を心から愛しているとしても、夫には自分を偽っているのだとしたら、彼への愛に胸を張ることはできない。

 

 

夫はわたしの生活のために、戸籍だけの関係でもいい、といってくれた。

そこまでの経緯を考えると、夫なりの誠意だったと思う。

でも、それではもっと嘘の人生になるだろう。

 

 

先のことは考えなかった。

嘘をせきとめておくことはできない。

ハンカチーフの片隅をインクにつけておいたら、いつか全体が染まってしまう。

 

 

離婚してもしばらくは、前夫とこどもたちの食事を作るために彼らの家に通った。

しばらく、のつもりだったけれど、実際は2年間だった。

母が亡くなり、空いた部屋に息子がきて、就職した。

彼が部屋を借りて出ていき、次に娘がきた。

去年息子が帰ってきて前夫と暮らし、娘はわたしと。

男部屋と女部屋、なんて冗談にいっている。

 

 

いつかそうしたいと思っていたことが叶ったのだ。

前夫とこどもたち、わたしとこどもたちの世界を切り分けた。

こどもたちはどちらの世界でも楽しくやってくれているので安心している。

 

 

娘と暮らしはじめたとき、つまり、前夫と会わなくなってから、わたしは自分自身の心に向き合うことになった。

夫のせいにはもうできない。

両親のせいでもない。

わたしの人生はわたしが作っている。

その一点において、自分の心を再構築しなければ。

 

 

いわゆる「心のブロック」を外したり、過去のできごとを洗い直して傷を癒したり。

思いつく限り、知る限りの方法を試し、調べ、教えを乞う。

その過程でかけがえのない友人を得ることにもなった。

まだまだこれからも続く道だ。

 

 

7歳以降、わたしは両親と親族に対し、幼い自己犠牲を続けてきた。

結婚生活もその延長だったのだといまは思う。

逃げ場が欲しい、居場所が欲しい。

その気持ちで人に依存することの過ち。

 

 

人はしょせん一人だから、とはわたしは思わない。

愛さなれば生きていけない。

そのために、心を透きとおった光で満たしたい。