息子を出産したのは目白の聖母病院だった。

カトリック系の病院で、婦長がシスター。

メンソレータムの缶のイラストみたいな格好をした付属の看護学校生もいた。

新患受付で書類を書いていたフランチェスコ会の修道士様が素敵だったなあって、それはまた別の話。

 

 

 

深夜に入院して翌日の夕方に生まれたから安産ね、とシスターにいわれたが、嘘だ、と思った。

安産って痛くないってことじゃないの。

聖母病院の産科は体育会系で、陣痛を進めるために散歩しなさい、シャワーを浴びてきなさい、とビシビシ指導される。

シャワーの下にはいつくばって「カエルか…」とうめいたものだ。

 

 

 

それでも産声を聞いた瞬間に思った。

赤ちゃんはやっぱりコウノトリさんが運んできてくれたんだ、と。

妊娠や陣痛はつまり手続きで、それを飛ばさずに踏んだから、こうしてコウノトリさんがきてくれた。

息子本人を見てその思いは強くなった。

「赤ちゃんじゃない、訪れし者だわ」

 

 

 

そこが出発点だから「子育て」とは思わなかった。

たしかに「子」だけれど、わたしのものではなく、彼は彼のもの。

尊重するほかになにができるだろう。

 

 

 

3年11か月後に娘を出産したときも同じだった。

切迫早産で40日も入院したこともあり、祈るように臨んだが、生まれてみると彼女はすでに彼女だった。

 

 

 

息子も娘も、初めて抱き上げたときの感覚が現在に至るまで変わらない。

いまはもう抱っこすることはないけれども、近くにいるときの気配は、産着で寝ていたときとまるで同じだ。

彼が、彼女が、育ったのであって、わたしは自分にできることをしただけ。

 

 

 

すでに二人とも成人してしまったから、子育て中の苦労を忘れたのかも知れないが、わたしとしては、それぞれと出会ってからきょうまで、なにも変わっていないように思う。

そのうえで、母親として何か気をつけていたことは、と聞かれたら、三つの「ない」を答えたい。

 

 

 

「けなさない」

日本の世の中にはけなしの言葉があふれている。

その最初は、親から子へのけなしではないだろうか。

自分がこどもをけなさなければ、一つの枝がそこで終わる。

 

 

「くらべない」

一人一人違うこどもたちをくらべる理由がない。

 

 

「おどさない」

置いていくわよ、といわれたら、こどもはどんなに怖いだろう。

ほんとうには置いていかない、とわかっているのは親本人だけだ。

 

 

 

これら三つも「尊重」だったんだな、と書いてみて気づいた。

ようするに、子育てに大事なことは「尊重」ひとつだけ。

 

 

 

 

 

羽生さくる/パーソナルエディター

 

東京都品川区生まれ。

東京女子大学日本文学科在学中からエディターとして仕事を始める。

1988年「部長さんがサンタクロース」(はまの出版)でエッセイストとしてデビュー、「お局さま」の言葉を世に送り出す。

以来、単行本を8冊出版。

現在はエッセイストとして執筆のかたわら、文章教室を主宰。

これまでに指導した生徒の年齢は14歳から88歳までと幅広い。

「自分らしく、自由に」をモットーに、のびのびと自分の文章が書けるように見守りながらプログラムを進めていく。

 

 

 

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