このブログは「ですます体」で書いています。

いまnoteも毎日更新していますが、こちらは「である体」です。

 

 

このブログは文章教室として、読者に直接語りかける気持ちの「ですます体」。

noteはエッセイスト羽生さくるとして、世界を展開するための「である体」。

と使いわけています。

 

 

たとえばエッセイを書くとき。

自分はいつも「である」体で書く、わたしは「ですます」体で統一しています。

それもいいのですが、読んで欲しい相手と表したい感情、テーマに合わせてそのつど選ぶのも面白いですよ。

 

 

「ですます」は丁寧、「である」はクール。

とも限らないのですが、その雰囲気を利用して伝えたいことを効果的に表現することができます。

「ですます」でシニカルな表現をしたり「である」でツンデレ(デレ表現が目的)をしたり。

 

 

エッセイだと話し言葉を入れて破調させる書き方もありますね。

なあんてね、なんてね。

 

 

きょうは、さくるの「である体」を体験していただきたく、

以前書いたnoteでいちばんいいね!をいただいた一編を以下にコピーします。

「である体」に話し言葉をはさんでいるところもご覧くださいね。

 

 

 

 

その人に会えると思えば

 

 

 

その人が天国にいっていることはまちがいない。

だから、その人に会えると思えば、自分が死ぬこともちっとも怖くない。

そう思える人がいる幸せ。

 

 

わたしを生後8か月から夜だけ預かってくれていた、立会川の左官の山田竹松さんとその奥さん。

月に600円の謝礼と牛乳代だけで、2歳半になるまで面倒を見てくれた。

父の仕事が軌道に乗り、借家に越せたときに夫妻を招いた。

わたしは小学校3年生だったと思う。

茶の間の壁を見渡して、竹松さんはいった。

「電灯で影ができてるな」

それはよくない、という意味だった。

「いつかI子が家を建てるときには俺が塗ってやるよ」

竹松さんがこてに壁土を載せて、下地にぽんと打ち付けたら、

土が恐れ多いってんでするする逃げていくのだそうだ。

「俺はそのあとを撫でていくだけ」

数年後、竹松さんが亡くなったことを後から知り、奥さんに電話を掛けて父は泣いていた。

父が泣くのを見たのは、それが初めてだった。

 

 

立川談志師匠。

マイ・ジェントルマン。

あんなに優しくて思いやりのある人をわたしは他に知らない。

それしか言葉が出てこない。

冥土名人会の楽屋に会いにいくからね。

 

 

伊丹十三さん。

あんなにかっこいい人をわたしは他に知らないが、

映画監督になられてからは服のセンスがわたしの好みとは違ってしまった(失礼な)

夕刻の渋谷のモンパンのテラスで、ダークスーツを着て脚を組んで待っててくれた伊丹さんのバージョンで、

天国では会いたい。

 

 

編集者のKDさん。

大学時代からフリーで仕事をしていたわたしのたった一人の兄貴分だった。

「俺はお前の味方だよ。味方っていうのはね、なにがあっても味方って意味なんだよ」

その言葉のわりになんかしてくれた記憶が...あ、ありましたすみません。

 

 

鳶職のKちゃん。

初恋の人。

わたしと暮らす家には竹垣を自分で結んでつくるといってた。

職業柄結ぶのは大の得意。

天国では茶室を作っているかも知れない。

わたしがお茶を点てるよ、待っててね。

 

 

先日、この「会えるのが楽しみ」な人たちのなかに、一人の女性が加わった。

花の名前を持つ友人。

療養中も少しも変わることなく、いつも笑顔で愛猫とともに迎えてくれた。

わたしとは前世の修道院でいっしょだったかなんだかで、毎日鐘の鳴る頃に橋の上で待ち合わせていたらしい。

その約束を今世でも忘れないでくれていた人。

次はその橋の上で会えるね。

 

 

 

 

羽生さくるの文章教室個人授業。

随時受けつけております。

対面で1回につき2時間の講義と推敲指導をいたします。

受講料は7,000円+消費税10%になります。

 

基本4回のプログラムをご用意していますが、単発でもお受けします。

4回続けていただくと、自己紹介文から800文字のエッセイ、あの人への手紙まで完成。

最終回には「羽生さくるのミニライティングセッション」として今後の文章についてのインタビューをし、

テキスト化してお送りします。

会場は都内のカフェなどですが、Skypeでの受講も可能です。

 

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