もう自分を責めるのはやめよう。
全然勉強がはかどらない。
考え方を変えよう。
1歩ずつ1歩ずつ距離を縮めていくんだ。
①サックリ司法試験に受かってしまう人やエリート商社マンと、僕との間には、1万歩くらいの差があるだろう。
②仁科仁美との婚約を破棄した年商150億の米山社長や、観月ありさと結婚した年商150億の青山社長と、僕との間には、10万歩くらいの差があるだろう。
③Facebookのマークザッカーバーグと、僕との間には、1000万歩くらいの差があるだろうか。
1日1歩ずつでもいいから、距離を詰めていければいい。
1日1日を無駄にせず、とにかくこれ以上、距離をあけられないようにするんだ。
「確かな一歩の積み重ねでしか遠くへは行けない」(イチロー)のだ。
もう少し地に足をつけて地道に頑張ろう。
さて、これからの計画を考える。
1 勉強時間
恐らくもう今年の合格も無理だ(合格確率は10%程度か)。
よって、400日後の2016年合格を目指す。
(一応、今年の司法試験は受けるつもりだが)
今年の6月は、1ヶ月ほどアメリカに滞在することになっているし、
7・8・9月は、中小企業診断士の実務補習があり、そこそこ忙しい。
よって、400日間の勉強時間は4000時間とする。
内訳は、
①民法 1000時間 (25%)
②刑法 600時間 (15%)
③憲法 600時間 (15%)
④商法 400時間 (10%)
⑤行政法 300時間 (7.5%)
⑥民訴 400時間 (10%)
⑦刑訴 400時間 (10%)
⑧労働法 300時間 (7.5%)
合計 4000時間 (100%)
とする。
2 勉強内容
問題は何をどうやるか、だ。
基本書中心主義はやめる。
予備校教材中心にする。
学校の先生方に言われ、基本書を読むようになり、基本書が好きになった。この発見は、以降の僕の人生を豊かにするだろう。
しかし、「新」司法試験では、民訴や民法を除き、基本書は無意味だ。
むしろ有害ですらある。リーガルクエスト記載の定義や要件を書いただけでも、バツをつけられたことが何度もある。結局は、予備校的記述が最も「試験上は」穏当なのだろう。
というか、基本書を読んでさえいれば何とかなると考えていたのが甘かった。
司法試験は「法律学」の試験ではないのだから。
こういうところに早期に気付ける人が、「頭がいい」ということなのだろうなぁ。。。
とはいえ、司法試験は法律学の上にあるものだから、全く勉強しないというわけにもいかない。
そこで
①法律学(学者本)1に対し、司法試験(予備校本)2の比率で勉強をする。
また、
②論証パターンを作る。
論証パターンについては批判も多いが、2回目の司法試験を目前にして、気づいたことがある。
どう考えても、論証パターンは有用だ。
⑴2時間という制約がある状況下では、機械的反射的に記述することによる時間節約が大いに有効であるし、⑵十分に理解している者による現場作成の記述よりも、不十分な理解しかしていない者による暗記型の記述のほうが、高得点になる傾向が強いからだ。
さらに
③とにかく書く。
「とにかく書く」論には、かねてより否定的だった。
書けないということは、理解してないということであるし、書けるということは、理解しているということでもある。
そうすると、「書く」ということは、理解しているか否かの確認作業に過ぎないのであって、重要視すべき作業ではない。すなわち、「理解すること」と「書くこと」というのは、原因と結果の関係であり、結果ばかりを繰り返すことはナンセンスだと思っていた。そんな時間があるなら、「理解すること」に時間をかけるべきだと。
例えば、ギャグはどうだろうか?とにかくギャグを言っていれば、面白くなるだろうか?「面白いことを思いつく能力」の結果が「面白いギャグ」なのであって、「面白いことを思いつく能力」を鍛えない限り、いくら「ギャグ」を連発しても「面白いギャグ」を言えるようにはならないだろう。
しかし、上位合格者・短期合格者をみると、その多くが「とにかく書く」という勉強方法を重要視している。
僕ももう、理屈をこねている場合じゃないので、結果を出した人達の多くが「とにかく書く」を実践しているのなら、ガタガタ言わずに素直に真似するしかない。
よって、僕もとにかく書く!
いろいろ書店で探したが、問題集は、論文の森が良さそうだ。これを日課として書くようにしよう。
まぁ、今年の試験までは、過去問を周そうと思うが。
以上のような感じで、あと400日頑張ろう。
問題は、自分のクズさ加減を直視してしまい、僕の精神が壊れるのはいつか、ということだろう。
出来れば、自分を責めたり現状を嘆いたりせず、やるべき事を1日1日着実にこなしていき、結果を出し、一刻も早く今まで僕が迷惑をかけた人たちに償いをしたいものだ。