今日も朝から泣き腫らしてやった。


悔しくて悔しくて…。


少し、語らせてほしい。


とある先生に週に1回程度、刑法の答案を見てもらっていて、昨日もその講評だった。


昨日の答案も、相変わらずの低評価だった。

まず、ここで一つめの悩み…。

①半年間見てもらっているのに、全然成長しない僕って一体……

と、落ち込む。


さらに、内容に踏み込んでみると

背任罪の、『抵当権設定登記協力義務が「他人の…事務」といえるか』という論点の理由づけで、盛大なバッテンを食らっていた。


僕の理由づけは「まず、抵当権保全行為は、抵当権者固有の事務にあたる。そして、抵当権設定登記協力義務は、この抵当権保全行為の一環として行われるものである。したがって、抵当権設定登記協力義務は、抵当権者の事務である。」というものであった。


これは、判例講義各論の88pに書かれている理由づけである。
理論的にも間違っているとは思えないし、学者が言っているのだから、その正当性も担保されているはずだ。

そう思い、先生に、なぜバツをつけたのか尋ねると、

「あんまり小難しいことを書くな。司法試験委員はバカだから、こんなこと書いても分からないぞ」
との指摘を受けた。

この指摘も、真っ当だと思った。
僕は、いちいち理屈っぽいのだ。
もっと分かりやすい文章を書くべきなのだ。


翻って、他の優秀答案を見てみる。


「抵当権設定登記協力義務は、他人の事務といえるか。確かに、抵当権設定登記協力義務は、抵当権設定契約に基づくので、自己の事務としての性質を有する。しかし、抵当権者が登記をするには、設定者の協力が不可欠であるので、抵当権設定登記協力義務は、抵当権者の事務としての性質も有している」

これには、先生の大きなマルがしてあった。

確かに分かりやすい。…でも、この理由づけだと、「相手方の協力が不可欠である」との理由で、単なる債務不履行まで背任罪が成立してしまわないか。
理論的妥当性はあるのだろうか。


他にも

「抵当権設定登記協力義務は、他人の事務といえるか。抵当権設定者は、抵当権設定登記に協力する任務を有している。そして、この任務は主として抵当権者のために負うものであるから、他人の事務にあたる」
という答案にもマルがついていた。


これは、判例の言い回しを正確に引用している。その意味では、いい答案なのかもしれない。
しかし、そもそもこの判旨では、何ら具体的な理由づけがなされていない。何も言っていないのと同じなのだ。
だからこそ、前掲判例講義88pの解説者は、「抵当権保全行為の一環」という理論構成を用いたのだ。
何も言わない答案が、いい答案なのか。


なんだか、採点に納得がいかなくなってきた。


しかし、採点者の先生は、旧司法試験及び新司法試験の考査委員や司法研修所の教官を歴任したお方なので、「司法試験においては」彼の採点こそが、「正しい」のだと思う。彼が「ルール」なのだ。彼が「正しい」と思ったことが、「司法試験における正解」なのだ。


このように見てくると、司法試験に受かるには、「正しいことを、分かりやすく書く」ことが重要なのではなく、

「バカに採点してもらうために、間違ったことを書く」ことが重要な気がしてくる。


これが2つめの悩みだ。

すなわち

②もう…何が正解で、何が間違いなのか分からない…。

一方では、正確性や理論的正当性を要求され、他方では理屈もクソもない記述を要求される。



なぜ、皆黙々とこんな勉強ができるんだ?

僕だけが異次元の場所にいるのか?

僕だけがまったく筋違いの勉強をしているのだろうか?

今までの勉強も、これからの勉強も、司法試験合格には無駄なのだろうか?



涙が自然と出てきてしまう。

相談できる人はいない。
誰も、この悩みを共有してくれない。
(つまり、やはり僕がズレているということ)



自分で解決する他ない。

↓↓↓↓

①「勉強しても全然成長が見えない」件について

もともと、「頭の良し悪しなんてない。あるのは、やる気の違い(量)と方法論の違い(質)だけだ」という考えを有していた。だから、量と質さえ確保できれば、できるようになるはずだ、と思っていた。
しかし、いくら経っても、出来るようにならない。
短期合格できるはずが、いつまで経っても、ゴールが見えない。
そうすると、原因探しが始まる。
「量が少ないのか?質が低いのか?」
そして、焦り出す。
「おかしい。おかしい。こんなはずじゃない」

こういう精神状態は、健康上も司法試験勉強上も望ましくない。
したがって、こうなったら、「頭の良し悪しはある。そして、僕は頭の悪い方の人種だ」と思うか、あるいは「頭の良し悪しはないが、やる気や方法論の確立能力には、先天的な個体差がある。そして僕は、やる気が少ないか、あるいは方法論の確立能力が低い人種だ」と、考えるほうが有益だろう。
そう…考えよう。
その上で
「自分が出来ないのは当たり前。劣っている人間だから。司法試験に合格しないのも当たり前。受かればラッキーと思って勉強しよう」
と思うようにしよう。
これくらいの諦観と楽観を持とう。
このように、とにかく悩まないようにして、勉強を継続しよう。ダメでも、やり遂げるんだ。無謀でも挑戦するんだ。絶望の中でも、希望を持ち続けるんだ。
とにかくとにかく勉強するんだ。



②「何が正解で何が間違いか不明」な件について

一つずつ、修正していくしかない。
理論的なものを求められる部分と、そうではない部分とを、一つずつ確認していく。
勉強の教材も、学者中心のものから、予備校中心のものへと変更する。
理屈の妥当性ではなく、ポピュラーなものかどうかで、論じるべき事項を選定する。





うわ~ん泣
情けない…。ダサすぎる…。

悔しい。
俺って、こんなチンケな人間なのか。
たかが、ペーパーテストでこんなに手こずって…。
この先も、大した結果も出せず、社会に何の爪痕も残せずに死んでいくのか。
3流の仕事、3流の学歴、安モノの車に安い飯、節約と我慢の日々、大好きな人とも一緒になれず、大きな夢だけ語る口だけの人生を送るのか。
「たとえ、合格が遅れても、植田さん、ルックスもいいし会話も上手だから、短期合格した人より稼げますよ」とかいらねーんだよ、そんな慰め。他で勝ってることがあっても、今負けていい理由にはならねーんだよ。というか、一事が万事、一個ダメなやつは、他で何したってだめなんだよ。司法試験でつまずくなら、実務に出てもつまずく。こんなんじゃダメなんだよ…


いや、違う…違うな。俺は馬鹿なんだ。
俺なんか、こんなもんだ…ダメで当然。とりあえず、人より頑張って、人並みの成績を残そう…。
その結果、人よりいい結果残せたら、ラッキーって感じで…。

クソ…

でも頑張ることには変わらないので。

とにかく、必死にやろう。
泣いてるままじゃ、何も変わりはしない。
情けないとか恥ずかしいとか思わないようにする。
自分に期待しない。
虚心坦懐の精神で。

頑張ろう…