1 ニヒリズム
「人生の意味」や「生きる目的」については、誰しも思春期に考えたことがあるだろう。
しかし、恐らくその答えは見つからなかったはずである。
なぜなら、「人生に意味はない」し、「生きる目的もない」からだ。
心理学の基礎を確立したフロイトも
『生きることの意味と価値について問いかけるようになると、 我々は狂ってしまう。 なにしろ意味も価値も客観的に実在するものではないのだから。 』
と語っている。
『武士道』を著した新渡戸稲造の言うように「人生の目的は、宗教観念がなければ解決できない」のであろう。
こうした「人生に意味などない」という考えを「ニヒリズム」という。
2 除夜の鐘
『人生は無意味だ。高度な知能を有する人間であっても、特別な役割が天から与えられているわけではない。結局、人間の存在理由など、他の生物と同様、自己保存及び種の保存にあるに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。高齢者や不妊者など種の保存ができない者は存在理由が無いし、自己保存や種の保存に不可欠とまではいえないような出世欲や物欲も無駄である。
無理して偉くなろうとしたり、成功しようとしたりすべきではない。あるがままを受け入れ、自然とともに生きるべきである。』
このように考えるのが、ニヒリズムの純粋な帰結であろう。
古代中国の老荘思想や仏教の煩悩概念に、このような思想が見てとれる。
ちょうど本日の大晦日に行われる除夜の鐘も、「煩悩を捨てよ」という概念に基づいている。
煩悩の否定。すなわち自己顕示欲や出世欲や色欲や物欲の否定。
「そんなに自分すごいアピールして意味あんの?」
「そんなに出世して何がしたいの?」
「大勢の人と恋愛したからって何になるのだ?」
「高級な時計を買ったって、どうせ次が欲しくなるに決まってる。そんなの繰り返してどうする?」
この思想は、日本人にとってはなかなか説得力がある。
日本では、上記のような思想が、除夜の鐘のように日々の生活と密着しており、親しみやすいからだ。
3 ニーチェという男
しかし、フリードリヒ・ニーチェはニヒリズムを認めた上で、違った思想を展開した。彼は一言で言えば、「人生の肯定者」であり「欲望の肯定者」だった。
人生は無意味だが、だからこそ今この一瞬を主体的に生きる人間こそ価値があるのだ、とし、ニヒリズムの克服を推奨した(永劫回帰)。
このニーチェの思想は難解なことで有名である。
だが、あえて、専門家ではない僕に説明させて欲しい。
『人生は無意味だ。夢であり虚構に過ぎない。だが、そんなことを考えていて何になるのだ?客観的には人生に意味がないとしても、人間はそこに主観的な意味を与えることができる。ただの石ころでも、大事な人から貰えばそれが宝物になるように。それ自体は価値中立的でも、人はそこに自由に意味を与えられる。人生は無意味だが、自分なりの意味を与えるべきだ。そして、どうせ見る夢でも楽しいほうがいいに決まってるから、自分がワクワク満足できるような意味を人生に与えよう。』
4 改めて人生の意味を考える
どんな人生も、等しく無意味だ。だけど、そこから「煩悩を捨てることが正しい」は導かれない。「煩悩を捨て去った聖人」のような人生も、「煩悩まみれの俗物」の人生も、等しく無意味なのだから。どんな人生も、等しく無意味だ。
意味のない人生を楽しんで生きるのも無意味だが、意味のない人生を今すぐ終わらせるのもまた意味がない。
どうせ意味がない人生なのだ。自分の都合のいいように、人生に意味を与えるべきだ。
5 思い込み
何を当たり前のことを…そう思う人もいるだろう。
だけれど、この理を完全に理解できている人に、少なくとも僕は出会ったことはない。
「働かずに飯食って行きたいとか言う奴は甘えてる」
「サラリーマンなんて、退屈な職業よくやってられるな」
「いや~、また浮気がばれてしまいましたわ。浮気くらい許せっての」
「司法試験?そんなのただの学歴コンプレックスでしょ?」
「弁護士なんて儲からない職業、目指して意味あんの?」
「歴史に名を残したいって…いい加減現実を見れば?」
「友達のいない人生とか考えられんわ」
「そんな偽善者ぶって何がしたいの?」
「飲み会ばっか言ってる奴って、人生の時間無駄にしてるとか思わないの?」
「趣味を大事にしない人生って価値ある?」
「そんな安月給で、趣味を大事にしたいとかって…悲しくならない?」
「あんなブスと結婚するとか正気か?」
「やっぱ、男は年収よね~。あ、別に貴方の旦那さんをディスってる訳じゃないのよ。ホホホ」
どんな人も、結局、「人生は無意味だ。だから個人個人が自ら人生に意味を与えなければならない」ということを徹底理解していない。無意識に、自分の人生観が正しいと思い込み、他人に強要し、他人を否定している。
「働かない人間は間違っている」「苦労を知らない奴は正しくない」「人に使われるだけの人生なんて認めない」「器が小さい人間はダメだ」「大学も出てない人間はクズだ」「お金を稼げない人はダメ人間」「美人と結婚したやつは勝ち組だ」「ボランティアをする人間は偉い」…多くの人がよく口にする言葉だが、これらは全て間違いである。
医者だろうがスポーツ選手だろうが無職だろうが、ブスだろうが美人だろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、人生が無意味である以上、全ては無価値だ。だが、人間はそこに主観的に(自由勝手に)意味を与える。美人はいいこと、金持ちはいいこと、苦労することもいいこと、と。
しかし、それらは、全て個々人の主観的な思い込みにすぎず、客観的には「誤り」である。たとえ、99%の人間が同じように思い込んでいたとしても、同様である。客観的には、ブスも美人も等しく無意味なのだ。
だから、ライフスタイルに関わる問題については、決して他人を否定できないし、自分を正当化することもできないのだ。これを徹底できている人こそ、真に「自分の人生は、自分で意味を与える」ことを実践できている人だと思う。
6 生きるべき人生
どんな人生も意味はない。敷衍すれば、どんな人生にも優劣はない。それぞれの生き方は自由勝手に決めていい。最悪自殺したっていい。
つまり、
あらゆる欲望が肯定されるべきことになる。
また、欲望に序列などないことも導かれよう。
自己顕示欲も
色欲も
怠惰欲も
妬みも(ニーチェは否定する)
征服欲も
物欲も
自殺願望や殺人衝動でさえも等しく肯定されるべきだ。
人生は、しょせん虚構に過ぎない。努力する人生も怠惰に過ごす人生も、成功する人生も貧乏な人生も、楽しんだ人生も苦しんだ人生も、子を産む人生も産まない人生も、効率的に生きる人生も非効率な人生も、等しく意味はない。
「どんな人生が最高か」は、個人個人が自主的に決定すべきなのだ。
その決定こそが、「その人にとっての」人生の意味を基礎づけるのである。