幼少の頃から、「わたしはいらない子なんでしょ」「わたしなんて産まなければよかったのに」とすぐに口にする子だった。
今思えば、自分の心に関心や興味を持ってもらう時間があまりに少なかった。
父も母も忙しく、不仲で暗く、子供の成長のためにと保育園や健康に関するものを選んでくれたが、何を考え何を感じているのか聞いてくれたことはなかった。
自分を見てほしいけど、忙しそうで不機嫌そうで、親の顔色を見ては自分を後回しにしてきた。聞いてほしいと言葉にしたこともなかった。
漠然と、ただ何かに気がついてほしくて、天邪鬼な態度をとって困らせていた。
気がついてほしいのに、素直な言葉にならない、何に気がついてほしいか自分でもわからない。不安定な自分は、とても弱く感じた。
だからどんどん勝ち気に強気に振る舞って、強い子を演じた。母と喧嘩になると、怒りや悲しみの浮かぶ母の顔を見て絶望を感じた。そして、もういらないんだ。産まなければよかったのに。が言葉になる。
そう言って溝ができていって、もう後には引き下がれないとどんどんエスカレートしていく。家出をしたり、自分の首を絞めたり、何を言われてももう素直に話したりトーンダウンすることができない。
きっと、喧嘩になった時にわたしが悪いことをして怒られたのかもしれない。そういうときに、素直に謝れなかった。いまもそう。自分を正当化して強気に出て母をねじ伏せる。そうするともう後に引けなくて、どんどんヤケクソになって関係を壊していく。
普段から関心を持ってくれなかった父や母に、怒られた時だけ素直になるなどできるわけがなかったかもしれない。
関心を持たないことを肯定するような、負けたような気持ちになりたくなかったのかもしれない。
親のキャパが狭かっただけ。
今はそう思う。
でも、一緒にいると期待してしまう。求めてしまう。
埋めようとしてしまう。
どうでもいいことだったんだ と気がついてしまいたい。