人の心は解らない。解らないから良いとも言える。全ての人間の心が解ったら辛くて生きられない事だろう。表情で相手の真意を読み取る事は、比較的容易い。メールやネットではその表情が見えない。ネットで必死に相手の心を読もうとしても、頭が破裂するほど考え抜いても、気持ちは読み取れないだろう。
メール世代、「ゴメンネの一言」メールで送った文字じゃ返事は来ない。なんてよく言いましたが。目の前で涙を流しながら、「ゴメンネ」と言われるのとじゃ重みが違う。しかし、ネットで慣れてくると、それすらも勝手に想像してしまう。笑いながら「ゴメンネ」と送られたのに、勝手に想像してパソコンの前で涙を流しながら「ゴメンネ」と送ってきたのでは?と考えてしまうのだ。
これでは、神経が磨り減ってしまう。相手が居る事を考えての発言はするべきだ。しかし、考えすぎた発言は自分が辛い思いをする。一言書き込むだけで心が痛む。相手がどう思ったのか答えが見えないからだ。目の前に居るのなら表情で反応がわかるのに、ネットではどう受け取ったのかが見えないんだ。
そんな事は、とっくに解っていた。それでも考えすぎてしまう、そしてネットは普及し続け、もはや日常で必需品といわれるほど普及した。昨日は電車に乗ったら、その車両の全員が携帯電話と向き合っていた。ある意味、異様な光景だ。ちょっと前まで携帯の電源はお切りくださいと言っていたのに
実際の周りの人間を見ないで画面を見続ける人々。相手の表情を見ることなく会話をする人々。もはや違う生き物なのではないかとさえ思ってしまう。周りを眺めながら街を歩いた事があるのだろうか?沢山の人が歩いているのに、困った表情で周りをキョロキョロしてる老人に声をかける人は居ない。ココは本当に、日本なのか?
声をかけたら道に迷ったそうで、教えてあげたらお礼を言われたが、何故、ここまで無関心になれるのだろうか。自分には、この世界は合わなすぎる。しかし合わさないと生きていけない。ネットで本気で会話をするたびに神経が削られる思いだ。そしてネットから離れて無関心な人々を見るたびに嫌気がする。
と、真面目な話を書くと暗くなってしまうな。ストレス発散に趣味の小説を書こう。現実から少し距離を置いて、自分は小説を書き続ける。この世界に慣れる為にあえてネットで書き続けよう。そうすればきっと無関心に共感できるようになるはずだ。悲しい進化だが生きる為にはそうするしかない。空を飛ぶために土に潜れなくなる蝉のように
メール世代、「ゴメンネの一言」メールで送った文字じゃ返事は来ない。なんてよく言いましたが。目の前で涙を流しながら、「ゴメンネ」と言われるのとじゃ重みが違う。しかし、ネットで慣れてくると、それすらも勝手に想像してしまう。笑いながら「ゴメンネ」と送られたのに、勝手に想像してパソコンの前で涙を流しながら「ゴメンネ」と送ってきたのでは?と考えてしまうのだ。
これでは、神経が磨り減ってしまう。相手が居る事を考えての発言はするべきだ。しかし、考えすぎた発言は自分が辛い思いをする。一言書き込むだけで心が痛む。相手がどう思ったのか答えが見えないからだ。目の前に居るのなら表情で反応がわかるのに、ネットではどう受け取ったのかが見えないんだ。
そんな事は、とっくに解っていた。それでも考えすぎてしまう、そしてネットは普及し続け、もはや日常で必需品といわれるほど普及した。昨日は電車に乗ったら、その車両の全員が携帯電話と向き合っていた。ある意味、異様な光景だ。ちょっと前まで携帯の電源はお切りくださいと言っていたのに
実際の周りの人間を見ないで画面を見続ける人々。相手の表情を見ることなく会話をする人々。もはや違う生き物なのではないかとさえ思ってしまう。周りを眺めながら街を歩いた事があるのだろうか?沢山の人が歩いているのに、困った表情で周りをキョロキョロしてる老人に声をかける人は居ない。ココは本当に、日本なのか?
声をかけたら道に迷ったそうで、教えてあげたらお礼を言われたが、何故、ここまで無関心になれるのだろうか。自分には、この世界は合わなすぎる。しかし合わさないと生きていけない。ネットで本気で会話をするたびに神経が削られる思いだ。そしてネットから離れて無関心な人々を見るたびに嫌気がする。
と、真面目な話を書くと暗くなってしまうな。ストレス発散に趣味の小説を書こう。現実から少し距離を置いて、自分は小説を書き続ける。この世界に慣れる為にあえてネットで書き続けよう。そうすればきっと無関心に共感できるようになるはずだ。悲しい進化だが生きる為にはそうするしかない。空を飛ぶために土に潜れなくなる蝉のように