今日は和太鼓について振り返ってみようと思います。
思えば始まりは小学1年生
姉ちゃんにつられてそのまま成り行きで入部
色んなメンバーを見てきたなー...
まだ小学校で練習してた時は、半分遊びに行くようなもんで、ドッジボールしたり鬼ごっこしたり...
うわっ、めっちゃ懐かしい(笑)(笑)
あの頃は少し、太鼓に関してコンプレックスがあったなー...
太鼓が楽しかったんじゃなくて、周りのメンバーが楽しくて。
だからどうしてもやめたくなかった。
でも、地元で演奏する度に
周りの友達に冷やかされるのが嫌だったな。
しかもその頃はレベルも底辺で、叩いてる姿を見られるのがすごく恥ずかしかった。
今考えたらすげー自分が子供だなって思うけど、まあ子供だったからしょうがないと思います(笑)
そして何故か自分が上手いという自負がありました(笑)
これも今考えたら狭い世界で生きてきたんだなーって思います(笑)
先生に甘やかされて育ってきたから、勝手に自分は上手いんだと思い込んでいました。
このことに気づかなければきっと俺は変われなかった。
俺が成長できたのはきっと、二つの大きな転機があったから。
一つ目は、俺の中学生1年生の時のメンバーの代で全国大会で賞を取ったこと。
この辺りから少し、太鼓に対する誇りが芽生え始めた気がします。
2つ目の転機は、メンバーが一新して変わったこと。
全国大会が終わった後、全国大会に行ったメンバーは次々に辞めていきました。
残ったのは本当に数人。
そして、たくさんの新人が入ってきました。
もともと宇品みなと太鼓←所属しているクラブです
は、楽しさを重視するクラブでした。
休憩時間にわいわい話したりして、とても自由でした。
俺もこの時まではそれでいいと思っていました。
楽しければなんでもいいと。
しかし、今回のメンバーの中に、全国大会に行きたい!と意気込んで入ってきた部員がいました。
さらに、それを引き立ててくれるK先輩とS先生が積極的に動いてくださいました。
俺も頑張ろうと思いました。
しかし、高校生に上がってから、なかなか思うように行きませんでした。
野球がしたかったので軟式野球部に入りました。
部活と太鼓の両立は、かなりハードでした。
OFFは火曜日だけ、月曜から金曜は七時まで練習し、土日は午前練習が主でたまに午後練習という形でした。
太鼓の練習は火、木、金にあるので、
OFFを使って、火曜は七時から八時まで、練習に出ました。
木曜は七時から九時までなので、1時間半練習して帰りました。
金曜は七時から八時までの練習でしたから、30分だけ駆け込みで練習するという形でした。
そこまではまだ中途半端ながらも、俺なりに頑張っていたんです。
しかし、彼女関係で色々失敗して、バイトもしなければいけなくなりました。
親にも多大な迷惑をかけ、親からもらったお金も部活のためにたくさん浪費しました。
もう、お金のことで誰にも迷惑を掛けたくありませんでした。
状況は一転して変わりました。
火曜のOFFは、バイトに切り替えなければいけませんでした。
土日は午前練習であることを確認してから、練習が終わった後すぐにバイトに行き、九時半まではたらきました。
当然、遠征がある日や試合が午後にある日は働けません。
シフト入れたのにキャンセルするなど、バイト先にも多大な迷惑をかけていました。
野球の方もたまに休んで、学校もたまにサボって、バイトも中途半端で...
太鼓の練習も休みがちになりました。
この頃の俺はきっと周りからみたら、すべての場所で評価は悪かったと思います。
今考えたらこの頃の俺は周りから見たら最低だっただろうと自分でも予測できます。
でも、俺は必死でした。
結果、太鼓も部活も勉強もバイトも中途半端。
元々こうなることは予測していました。
本当は高校生に上がる時点でやめるべきだったんだと思います。
新しい主将を指名し、宇品みなと太鼓クラブから立ち去るべきだった。
中途半端に部に居続けたせいで、俺は引き返せない大失態を犯してしまったんです。
彼女と別れ、高校二年生の冬休み。
時間が空いたので、ふらっと練習に出てみました。
久しぶりに木曜に練習に出て、衝撃を受けました。
木曜は自主練の日なのですが、
異常なほどに突発して上手くなっている奴が数人いました。
自分が遅れているのがよくわかりました。
でも、やはり中途半端なままで、そのままズルズル行きました。
そして後編に続きます(笑)
PS.思った以上に書き始めたら長かった(笑)