BERUNです。



今日は久しぶりにわたしが専門学生時代に働いていた「焼肉チャンピオン」に行ってきました。

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↑塩のお肉、



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↑たれのお肉、


かなりの人気店のため予約必須ですが、食した時点でうなること間違いなしのクオリティです。






食事後、旧友に誘われてクラブという空間に久しぶりに連れていかれたのですが、



やはりわたしはどうしてもクラブという空間を好きにはなれない。。


わたしの個人的な意見では、そこにあるものは虚像のクリエイティブさと、邪念と雑念が入り交じっているようにしか見えないのです。


みな、何のためにこの空間に来ているのか。

たとえば自分という存在がそこからいなくなったとき、その空間に歪みは生じるのか。


クラブのような空間ではオーガナイザーでもない限り、何の変化もなく過ぎさっていきます。


わたしは人1人、絶対的存在価値が置かれている空間を求めます。


その人がいないと起こらない話。

そのために、人はイチ個人として生きていると思うのです。


残念ながらクラブでは自己の存在意義など無いように感じてしまいます。


楽しそうに見えて、実は虚しくも切ない空虚感がひしめき合っている。


そんな思っていたことを師匠と話をしていたら、

我が師、エドワードこと木場さんが言っていました。

「夜の遊びにクリエイティブな時間はない。本質を分かってる人たちはみな朝の時間を大切にする。
早朝ホテルのラウンジに行ってごらん。意識の高い人しかそこにはいない。
そこでは夜では数万円もするような贅沢な食事を2、3千円で出され、その食事をゆっくりたしなむ。
そこで時間を共にできる人たちだけで、熱く語らい合うんだ。」

と、

これは正解のない答えですが、私は大いに納得しました。


ファッションの仕事をしているからファッションの勉強をする。
これはもちろん大切なことですが、本質の“人として”の部分。

この自己の哲学を磨き続けることが、すべての仕事に生かされるだろうと思います。


普段活気溢れている街の、眠っている時間には沢山の気付きがあります。


クリエイティブで美しい建物の骨組みは、泥だらけの兄ちゃんたちが汗水垂らして作った結晶。



こういう風景が見えるからこそ、全ての生命に感謝できる。


星が見えない東京にがっかりするのではなく、自分自身の純度が透き通っていれば、いつだって星は見えるはずです。



BERUNでした!