みなさん、こんにちは!
MamaLadyの明石奈々です。
8歳の息子を育てながら広告代理店を経営して6期目です。
(知識ゼロ・経験ゼロ・知り合いゼロからの起業)
1週間で学んだことを定着させるため、そして私の考えていることを
一緒に働いてくださる皆様に頭の中を見せるため
週一回ブログを書こうかなと思い立ち、再開しました。
今週のテーマですが、先日、北海道新聞社のインタビューを受けました。
その際に(ご自身もママである)記者の方が1番興味を持ってご質問くださったのが
「何故ママ向けサービスはボランティアに走りがちなのに収益性にこだわることにしたのですか?」という点でした。
その点について掘り下げたいと思います。
ママビジネスは何故ボランティアになるの?
6年間会社経営をしている私ですが専業主婦からの起業なため、
なんの知識もコネもなく起業しました。
そして、今「適切な収益構造」こそが事業を持続させるために必要という当たり前のことを痛感しているのですが
5年ほどボランティア経営に身を捧げました。(ほぼですね・・・笑)
私は「ママになってからの人生を思いっきり楽しもう」を理念に、
ママになることを選択した女性が、どのライフステージでも自分らしく生きられる社会を作りたいと考えています。
そのためには「タノシイ」を軸に物事を考えたり、選択できる自由が必要だと思っています。
ママになると家族や、その他のことで自分以外の物差しで判断するシーンが多くなりますが
自分を大切に、自分の人生を楽しむことこそが、子育ての充実につながると思っています。
これには、自分から見た子供への視点と、自分から見た親の視点で、
「母」と「娘」の視点から考えてみることが大切だと思っています。
私は息子が生まれた時とにかく頑張りました。頑張らないといい母親になれない気がしたし、
子供への愛情が試されているような気すらしました。
誰にも自分の子育てを否定されたくなかった。(誰に、っていう感じなんですが。笑)
「正しい」方法で、息子を守って、愛してあげたかった。
だから神経質にもなったし、ものすごい努力もしました。
でも、自分が「娘」の視点で「母」のことを思う時、
私は母に全然多くのことを望んでいなかったなぁと思うんです。
ただ笑っていて欲しかったし、自分の人生を大切にして欲しかった。
そこには決して「自分の人生を犠牲にして子どもに捧げて欲しい」なんて感情はゼロだったはずです。
なのに私たち母親は母になると途端に「自己犠牲」の上に「愛」があるような気持ちになり、
誰の手も借りず一生懸命子育てをします。
私はなんだか自分の中に相反する気持ちがいつもあるような気がして、
夫との話し合いの中で様々な固定概念を捨ててきました。
そして私が手に入れた基準は「愛情表現は人それぞれ」「ちゃんとしなくても、いいママ」「いつも笑顔でいれるように自分を大切にする(No自己犠牲)」などなどです。
前置きが長くなりましたが、こんな体験から熱烈に
「ママって人生を楽しんでいいじゃん!」って思っているわけです。
ここで本題に入りますが、しかしまぁ、これって抽象的で、どんなサービスに結びつけたらいいのか?
普通はサービスがあり、ビジネスを始めますが
私は「ママを救いたい気持ち」があり、ビジネスを始めたわけです。
そう、これがママビジネスがボランティアになりがちな理由、そのものです。
スタート地点が「ママのために何かしたい」なんです、そもそも。
「何か」ってなんやねん。
でも「ママ」が大変すぎて「何か」しなきゃいけないことだけはわかる。
だから「何か」しようって立ちあがっちゃうのよ。伝わります?
立ちあがった先にあるもの
そして一念発起して「ママのために何かやろう」と立ちあがった先にあるもの
それは「ママ向けになにかやるなら無料で当然」ムードです。
ママからお金をとろうものなら「ママのことを考えていない!」「ひどい!」という言葉が
同じ仲間だったはずの「ママ」から聞こえてきます。
でもサービスって原価だけじゃないんだ。
例えばイベントをやったママならわかると思うけど
ママイベントの場合、1イベントにこんな「作業」がある。
会場の手配、タイムスケジュールの作成、会場との調整、ゲストリストの作成と管理、ドタキャン対応、
質問回答、当日までのSNS更新、集客に告知、会場が赤ちゃんが来やすいように配慮した準備、スタッフの準備と管理
その他諸々・・・
これを大体の場合は「無給」でやって
参加費として500円とか1000円とかをいただくのが相場じゃないかな。
1000円の参加費って100人来ても10万円です。
それを、3ヶ月、4ヶ月とかけて準備するわけだから・・・ほぼ残らないよね。
でもそこにあるのは純粋に「ママを楽しませたい」「子育てを一緒に楽しみたい」っていう想いなんですよ!!
「ママ会補助」が国からでてもいいくらい、本当に。
そしてイベントから起業した私ももれなくそんな「ママボランティア」を一生懸命やり、
収益はほぼ手伝ってくれたママたちに配って自分はもらわないみたいなことをやってました。
(なんだろうね、このなんか収益を受け取るのが悪いって気持ち・・・本当にどうかしていた。笑)
でもね、これってママ業と似ていない?
「自己犠牲」して「頑張る」のが「偉い」
ママのくせに楽しむなんて、ダメだって。どこかで脳内で、何かが囁くんだよね。
ターニングポイントは純粋に「みんなが好き」だった。
私は幸運にも本当に多くのママに助けてもらってきました。
でもビジネスの「ビ」もわからない専業主婦がみんなをリードできるリーダーシップを発揮できると思う?
もちろん、みんなもれなく失望して離れていった。(当たり前すぎて書いてて辛い。笑)
でも私には理念があったから、いつか必ず形にしなきゃいけないと思っていた。
人が集まっては、失望して離れていった。当たり前だよね、マニュアルもやり方もないから工数だけかかって
そしてみんな報酬も低いんだもん。嫌だよそんな団体。(開き直ってません。改善を重ねています。今はただ初期の頃の私の至らなさをまっすぐに認めてはいる状態。)
そこで、強烈に思ったのは「続けるには適切な収益構造が必要だ」
「夢を見るにはお金がかかる」そして「夢を叶えるのにもお金がかかる」
結果私のおでこにはこの文字が刻まれました。
「ママこそ、稼ぐべきだ」
そして、私を信じて集まってくれたみんなにきちんとお給料を払いたい。
それが私の大きな原動力でした。1人、また1人って人がいなくなるたびに絶対絶対いつか高いお給料を払ってあげられるようになろう。
やりがいも、お金も、全部叶えられるくらいおっきい会社を作ってやろうって思ってました。
私は純粋にみんなが好きだったんだと思う。
みんなが私に失望していく様を見ながらそれでも好きだったんだと思う。
いつか必ず、恩返しをしようって気持ちは、いつもずっと、何も変わらなかった。
だから、私が適切な収益構造を持とうと思ったのは、純粋に「みんなが好き」だったからだったんだと思いまます。
TO B営業に着手
ママからお金をとらないなら他からもらえばいい。
これが私のたどり着いた一つの答えでした。
でも私すごく繊細だし小心者だから人が喜んでお金を払ってくれるビジネスじゃないと自分がつぶれるって思いました。
そして、広がる可能性のあるものがいいって思いました。
人的リソースに依存していたら拡大のタイミングで広げることが難しくなるから。
(とか、それっぽいこと言ったけど、これも起業してから痛感したの。そもそも拡張性のないビジネスに手をつけたら天井あるなって。当たり前なんだけど「好きなこと」起業って見失いがち。)
そして私は本当に人間としてポンコツで未熟だし弱いんです。
だから仕事に強い気持ちで挑むためには家族に胸を張って「私はママを幸せにしている」と言えるものじゃなきゃダメだった。
それでたどり着いたのがママ営業が「胸を張って」企業営業ができる
「MamaLady Box」でした。
MamaLady Boxはママたちの声で選んだ商品が入るサンプルボックスです。
ママ営業は「ママ友に口コミしたい」気持ちで営業するからタノシイ。
企業は普段繋がれない生活者からものすごい生の声なフィードバックがもらえるアンケート付きサンプリングができる。
MamaLadyはママが楽しんで働ける場所を作れるし、お給料が払える。
みんな、全員、もれなく、ハッピー。
ボランティアを否定はしない。
ボランティア活動を長くやったからこそ、言えるんですが、ボランティアって必要です。
でも、ボランティアって助ける方も体力がいるんですよ。
私は「ママになってからの人生を思いっきり楽しもう!」が日本のママの合言葉になる未来を想像した時に
「長く続けたい」って思いました。
長く続けるには関わってくれる人が必要だから、じゃあ、そのお給料を払うにはやっぱり適切な収益構造が必要だなって思った。
私は、いろんな事業を通して、ママが生き生きとやりがいを持って働く集合体を作りたい。
そのためにはやっぱり、ボランティアじゃダメだった。
そしていつか自社ビルを建てて、ガラス張りのオフィスのど真ん中にスケルトンな保育園を作るの。
0歳児〜3歳児ママは子供の成長を見ながら働ける。病児保育も作りたいな。
誰も「ママが側にいなくてかわいそう」なんて言わせない。
三歳児神話をぶっ壊すの。(ママはおうちで3歳まで育てるべきっていう概念。)
1階は憩いのサロンで市民に開放して、2階は食堂。
仕事が遅くなったら家族も呼んで一緒にご飯を食べて帰る。
福利厚生で、事前登録すれば食堂の割引は家族分まで。
(栄養のある食事を作れなくてごめんね・・・なんていうワーママの罪悪感は私が生きているうちになくさせる。)
ビル全体で子育てをするんだ。
時代と逆行しているかもしれない。
でも今こそ私は子育てはシェアする時代だと思う。
働くママの罪悪感って本当につらい。
私も仕事をしながら「もっと栄養のある手作り料理をしてあげたい」
「毎日目を見て話を聞いて」「いつも笑顔で」「読み聞かせは3冊してあげて」って考えては
できない自分に落ち込む。
でも私って欲張りだから、これらを全部やるために生まれたんだと思うんです。
だからものすごく稼いで自社ビルを建てて、ワーママを救う。
そのためにお金がいるんで、上場もしたい。
誰もやらないから「みんなで子育てしよう」を私たちがやるの。
しかも、とびっきりオシャレに、私たちのやりたい方法で!
(社食はディーンアンドデルーカ監修とかいいな。なんかオシャレ。北海道にはないから憧れです笑)
アホだからできること
ここまで読んで、私が清々しいほどにアホだってことがわかってくれたと思います。
そうなんです、私、本当に「やりたいこと」ベースで生きていて、それを実現するためには?という思考回路なので
自分ができるかどうかすら無視してるんですよ。
でもアホでよかったとおもっていることがあって、いつも天才が集まってくるんです。
だから、アホで全然いい。潔くアホでいるからこそ天才が集まってくる。
中途半端に「利口」だったら無理かもね。
私の周りの天才たちについてはこちらの記事で書いてるから読んでみてください。
まとめると、私はみんなのことが大好きだったことをきっかけにボランティア起業をやめて、今の形に至りました。
また書くね。
明石奈々