さて戦後の日本人はどうしてこのような嘘、捏造に当たる歴史について簡単に受け入れてしまうのだろう。それは学校で明治維新以降のわが国の真実の歴史がほとんど教えられていないことによる。明治維新以降わが国の先人」たちが、わが国を守るために血と汗と涙を流した感動の物語がほとんど教えられていない。
戦争の悲惨さを教えると言いながら、日本軍の極悪非道ぶりばかりを強調するような内容になっている。これでは子供たちは、軍というのはろくでもないものと思い、わが国を敵視するようになることもやむをえない。税金を使って反日教育をやっているようなものである。
それは戦後のアメリカによる占領政策から始まった。
アメリカによる占領政策は、日本が2度と再びアメリカに戦いを挑むことがないように、徹底的に日本を改造するものであった。(ウォーギルトインフォメーションプログラム)と呼ばれるもので、その中に公職追放というのがあった。
昭和21年からは大々的な公職追放が始まった。日本政府の要職にある人、大学教授や教師などが次々と20万人以上も追放された。20万人以上も追放されるのだから当然その穴埋めが必要になる。穴埋めのために戻ってきた人の中には戦前追放されていたある種の思想を持った人たちが多数含まれていた。いわゆる左翼と呼ばれる人たちである。
東京帝国大学、京都帝国大学などの教授になった人たちの中には、自分の左翼の弟子をたくさん連れてそれぞれの大学にもどった人たちが多くいた。これらの人たちは入学してくる学生に左翼思想を植え付け、社会へ送り出すとともに、戦後新設された新しい大学の教授などに推薦していった。
このようにして戦後の日本社会の中に
左翼思想を持った人たちが次からつぎへとおくりこまれていったのである。大学を卒業している人の多くは、官公庁でも経済界でもリーダーになることが多い。リーダーが左翼思想に染まればその部下たちも次第に同じ色に染まる。こうして戦後日本の左翼化傾向が逐次強化されていった。
全体が左翼化すれば自分が左翼であることも分からなくなる。今の日本には無自覚左翼が多数存在し、それが日本社会に数々の問題を引き起こしている。左翼というのは徹底的に日本の伝統的価値を否定する。古き良き日本がどんどん失われていく。
靖国神社で祖国防衛を誓う
昭和27年4月28日、日本はサンフランシスコ講和条約を結んで戦後6年半ぶりに独立をした。戦争は国際法上は講和条約の締結を持って終わる。その時点で戦争中のことは御破算となる。
講和条約を結んだのだから、いわゆる戦犯といわれ牢獄に拘束されている人たちも当然解放されるものと多くの国民は考えた。しかし解放されなかった。講和条約の第11条があるからである。そこには(日本政府は、戦犯とされ禁固などの刑期を与えられた人たちの刑期を守ること)と書いてあるからである。
そこで戦犯釈放の署名運動が起こった。そして4千万人以上の日本人が署名した。当時わが国の人口は8千万人くらいだったので大人はほぼすべての人が署名したといってよい。なんと本署名運動をリードしたのは日本弁護士連合会である。
さらに戦犯釈放の国会決議に向けて国会議員が動き始めた。その結果昭和27年中に衆参両議院でほぼ満場一致で戦犯釈放の国会決議が行われたのである。そして本国会決議を実施すべく奔走したのが、なんと日本社会党の堤ツルヨという女性議員だった。
国際法違反の講和条約
また戦犯といわれる人たちが拘束されていた巣鴨の刑務所には当時の芸能界の超一流どころが、気の毒だということで毎日毎日交代で慰問に行った。長谷川一夫、渡辺はま子、藤山一郎、笠置シヅ子、市川猿之助、徳川夢声、柳家金語楼、辰巳柳太郎などの人たちが、演劇、歌謡、舞踊、落語、漫談、曲芸、浪曲、講談などで戦犯といわれる人たちを励ましたのである。
それが当時の日本国民の戦犯といわれる人たちに対する感情だったのである。(A級戦犯)はけしからんと思っていた人たちはごくまれだったのである。
サンフランシスコ講和条約のこの条項は元々国際法違反であると言われている。講和条約締結後も敗戦国を拘束することはアムネスティ条項違反である。わが国は、連合国から、国際法違反の講和条約を押し付けられたのだ。当時わが国が独立するためにはやむをえない措置であった。
しかしわが国は本条約を律儀に守った。11条2項には、日本が戦犯と言われる人たちの刑期を変える場合には連合国2ヶ国以上の同意を必要とするとある。
日本はこの11条2項に従いながら昭和33年の8月30日までかかって戦犯といわれる人たち全員を解放したのである。日本がサンフランシスコ講和条約違反など全くしてないことも理解しておかなければならない。
歴史をみるには2つの立場がある。1つはこの国を断罪する立場で歴史を見る見方である。もう1つはこの国に深い愛情を持ってみる見方である。普通、多くの国は後者の見方で自分の国の歴史を見ていることが多い。しかい、日本の学校で教えられている歴史は日本を断罪する立場で見ているのではないか。これが日本人が自信を失う大きな原因となっている。
それでも経済が好調なときには日本人は自信にあふれていた。しかしいったん経済が行き詰ると、日本の全てが悪い、時代遅れだとなってしまう。
私は平成14年に統合幕僚学校長になって以降、靖国神社の春、秋の例大祭に制服で参拝してきた。靖国神社からの招待状は東京周辺にいる陸海空の将官に発送されうようであるが、ほとんどの場合総務課長などが代理で出席している。しかし私は時間と状況の許す限り私自身が出席するようにしてきた。
当初は靖国神社から本当に空将である学校長がくるのかと訊いてきたが、やがてそのようなことを訊かれることもなくなった。
幕末以来、国を守る礎となった先人へ感謝を捧げるとともに、私自身、日本を守る誓いを新たにするためだった。日本人として先人の御霊に感謝するのは当然のことであると思っている。
歴代総理大臣は戦後40年間靖国神社に参拝を続けてきた。しかし中曽根首相が昭和60年には8回も靖国に参拝しながら、翌昭和61年中国への配慮から靖国参拝を中止した。これが靖国問題をこじらせるスタートである。
その後、小泉首相が平成13年に参拝するまで15年間、橋本総理の1回の参拝を除き、総理大臣の靖国参拝は途絶えることとなった。そして、小泉純一郎首相以降、いま再び総理大臣の靖国参拝は行われていない。
その最大の原因が(日本は侵略国家である)という思い込みと、中国や韓国に対する(外交的な配慮)にあることは自明であろう。これが誰に気兼ねすることなく実施できるようになるまでは日本の戦後は終わらないのかもしれない。
いずれにしろ日本政府がこれを乗り越えない限り、日本の歴史は捻じ曲げられ続けるであろう。その結果国家安全保障の体制はいつになっても完成しない。
第2章 完 第3章 憲法と核について へ続く


