術後144日目、退院134日目【May'16『South Africa Journey』15】 | 性腺外胚細胞腫瘍 後腹膜原発 絨毛癌 旅好き 間質性腎炎 てんかん 透析

性腺外胚細胞腫瘍 後腹膜原発 絨毛癌 旅好き 間質性腎炎 てんかん 透析

●2015年2月 28歳発病 現在30歳 性腺外胚細胞腫瘍
後腹膜原発 多発性肺転移 脳転移
●ケモBEP4とTIP2とTIN2とIrN2&脳放射線24Gy定照射
●ケモ入院10ヶ月と後腹膜リンパ節廓清手術
●2017年2月 覚醒下開頭腫瘍摘出術
●2018年2月 薬剤性間質性腎炎と診断

綴る

2016年5月22日 Etosha National Park to Windhoek,Namibia









明朝朝ご飯を食べたらテントを畳み6:00過ぎにはすぐに出発した。
朝のGame Driveを終え、9:00にはエトーシャ国立公園を出てWindhoekに戻り、
Hosea Kutako国際空港へ直行した。





途中トイレ休憩に立ち寄ったガソリンスタンドのmarketにヘレロ族の女性が普通に買い物していた。
私と身長が変わらないというアフリカの女性にしてはかなり長身の持ち主。
体重は3倍ぐらいありそうだ笑



16:30のフライトに間に合うよう空港にはかなり優秀で13:00に着いた。
チェックイン時間まで空港のベンチで休憩。この旅、かなり余裕を持っての空港着が多い。
ビビり過ぎか。。
13:00頃にチェックインを済ませボーディングタイムまでレストランで時間を潰す。



Namibia$をZARに替える。まぁ為替が同じなのであまり変えた感じがしない。
それにこのrestaurantはWifiが有料でしかも容量制限がありマダガスカル国内線の予約をするのだが、ハラハラドキドキだ。
何とかギリギリでアンタナナリボからチュレアーレ往復は取れた。
しかしアンタナナリボからモリンダバ片道は取れなかった。これは南アで取ろう。





時間になりAir Namibiaへ乗り込む。
そして2時間後到着。1時間aheadなので20:00頃ヨハネスブルグORタンボ国際空港へ降り立つ。
初日にお世話になったCity Lodge Hotelで時間を潰す。
ここはネット使いたい放題なので、宿泊客ではないがちょっとお邪魔する。
receptionの目の前を何食わぬ顔で通過し、そっと目立たない奥のソファに腰を下ろす。
ドアマンやポーターに何か言われないかビクビクしながら今からおよそ7時間耐える。




ひとまず残りのフライトを予約し、マダガスカル内のホテルも予約完了。
トイレで顔を洗い、歯を磨き終えると暇である。
私は夕食がてら空港内のrestaurantへ行く。客引きに会いそのままあるrestaurantへ入る。
またしてもパスタとサラダを食べる。もう麺ばっか食っている。
ZARを使い果たし、満腹になってホテルへ戻る。
全く太っている気がしない。むしろ少し痩せたか。。どうやって太るのか。
ホテルへ戻ると相方がポーターに話しかけられたらしい。
でもここでちょっと寛いで休憩していると言うと、どこかへ行ったらしい。
ビビる。再度歯を磨いてソファで寝る。











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2016年5月23日 Johannesburg,South Africa 










深夜0時頃、
トイレへ行く。
便通が良い。
帰ると相方が
「宿泊客じゃないなら出ていけ」
と言われたらしい。
嘘はつく気がなかったので仕方なく空港へ向かった。




ああぁ眠い横になりたい疲れた...チーン
この身体酷使し過ぎやと思ったチーン
この2日間campでろくに寝れてないしゆっくりベッドで眠りたいチーンチーン




仕方なく空港を彷徨ってみるがソファなんかないチーンチーン
そんな中チェックインカウンター近くに大理石のちょっと段になっている所があるチーンチーン




そこで私は横になるが足が出てしまうので三角に折り曲げて寝るが、
圧迫骨折している腰にダイレクトに硬い大理石が当たり超痛いゲローゲロー
なので飛行機で貰ったブランケットを敷いて寝てみた。


まぁまぁ寝れる。



まだまだ硬いが横になれる事に感動していた。
しかしやがて硬くて腰が痛くなってきたゲローゲロー
しかも空港内の送風システムで風が直に当たるため寒いゲローゲローゲロー
2時間耐えたが、さすがに耐えかね引っ越ししたチーンチーンチーン
私は辺りをウロウロしてトイレにやって来たチーンチーンチーン
トイレは風から遮断された別空間。
温かい。
さすがにトイレの便座は嫌だなと思っていたら、
赤ちゃんの着替えるスペースみたいなところがあった。
私はすかさず扉を開けるとちょっと布で縫ってある椅子が目に飛び込んできた。
そして横には大理石の寝るスペースが。
しかも高いし狭い。赤ちゃんの寝るスペースが何故大理石なんだと疑問に思ったが、
奥へと続く扉を発見!




開けてみる。
そこは恐らく清掃員用の小さなロッカールーム。無残に着替えやお菓子が机に置いてあるが椅子はない。
私は静かに扉を閉め、ちょっとだけ柔らかい椅子に腰をかける。
温かいし静かで何より腰やお尻が痛くない。

あと1時間ちょいここで過ごそう。













ガチャ!!





「ううぅすみません、3時にチェックイン出来るんでそれまでここで寝てもいいですか?あと45分なんでそれまで何とか~プリーズえーん
「どうぞもちろん!」




















ガチャ!!
(音超デカイ)


「え、あなた何...」
「チェックイン3時、それまで私寝たい、プリーズゲッソリ
「いいわよ!」











ううぅチーンチーン
3時になったがもっと寝たいゲッソリゲッソリ





相方と合流しKenya Airwaysでチェックイン。マダガスカルへはナイロビ経由だ。
真夜中のボーディング待ち。
ゲート前の椅子を3つ独占して爆睡。
ああぁ…。




搭乗時間にハッと目覚めると人が一杯で恥ずかしかった。
こうして我々はナイロビへ向け出発した。




ナイロビのジョモケニヤッタ国際空港は4年前と何も変わっていなかった。




ナイロビを定刻通り8:30頃出発し、
マダガスカルへ向けて飛んで行く。
機内の椅子が天国に感じる程披露している。






12時頃マダガスカルの首都アンタナナリボに到着した。arrival visaが無料と聞いていたが滞在日数毎に国籍関係なくvisa代が発生。マダガスカル通貨のAriary(アリアリ)を持ってないので米ドルで払う。



何だったんだろう無料っていう情報。
まぁすんなりarrival visaが取得できただけでも良しとしよう。



それにしてもマダガスカルの空港の印象は、発展途上国に非常に良く見られる入国審査官のトロさ。

警察が審査官と混じって行っており仕事が超遅い。
寝不足と披露でイライラしてくるが、顔はニコニコしながら喋ってんとはよ仕事しろやとクソ野郎と思っていた。



窓口2つで6人体制なのに何この遅さノータリンなの?と口が悪くなる程遅い。



45分くらいかかってやっと入国出来た。
隣のフランス人女性はvisaの書類関係で何故か警察と揉めている。visaが下りないらしい。なのでarrival visa代として再度お金を払っていた。
ここマダガスカルは昔フランス領だったので公用語はマダガスカル語とフランス語だ。
しかし私が思うに一般庶民はフランス語も微妙である。






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到着ロビーに出ると背の低いそんなに黒くないアフリカ人っぽいマダガスカル人のタクシー運転手がタクシー?と聞いてくるのでガン無視して左手に行って1番奥にある両替屋で両替しよう。レートが1番良く愛想も良い。3万円分Ariaryに替えると全部万札なら100万円はある気がするほどの分厚さとなった。
1000Ar=33円くらい。




お次は市内へ移動するためボッタクリタクシーを掻き分け空港を出た右手にバス停を見つける。




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10000Ar一律で市内の指定した場所まで行ってくれる。目的地まで時間はかかるが安い。
乗り合いバス感覚で非常に良心的な運転手だ。2時間は走ったか。
まだ着かない。車の保有台数に対するインフラが整備追いついていないという良くある話。















それにしてもだよ。
首都アンタナナリボ近郊









私インドかと思った。







それだけじゃない。
途中なんと交通事故で誰かが道路のど真ん中で横たわっていた。布を被せられ血が流れている。2人の警察官がが現場を確保しようとしている。










衝撃が走る。
マダガスカルの印象が覆る瞬間。
明らかにdead bodyだった。
この先大丈夫だろうか。







明日はマダガスカルの首都アンタナナリボの夕方以降の姿を。
Hasta mañanaニコ