劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新房昭之監督]
 変な色のプラスチックのような髪、妙に内股になった脚をクネクネさせるキャラクター、おおよそ観たくもないし、観に行くとしても恥ずかしくてチケットを買うのに困るようなものを観たのは、二人も映画好きの友人がスゴイ、描かれている世界観がスゴイと言うからだったが、観てみたら確かにスゴかった。善意と悪意、希望と絶望、がむき出しの概念に転化されて行く劇的構造をつきつけられる。そして善意と希望を希求することが悪意と絶望を拡大すると言うパラドックスとして突きつけられるのだが、それはさらに後編の終盤に入ると、果てのない輪廻としての繰り返しを見せられることで大きな虚無感に陥れられる。【ネタバレあり】魔法少女とは少女が一つの願いを叶えてもらう代わりに魔法少女となり魔女の魔の手から人々を救う戦士になるのだが、叶えられる願いは好きな男を救うことだったりしていたのが、時間を遡行してやり直す願い、さらには魔法少女と魔女の関係性という世界の構造の転換する願いへとエスカレートしていく。そのたびにこのアニメの構造自体も根こそぎ転換され意味を変えていくという過激な壮大さがもたらされている。しかしながらこのアニメで描かれた世界においては、インキュベーターと呼ばれる存在の本能というか内在的論理によって、世界は歪められているに過ぎないことが示されるのだが、この物語もまた作者によって歪められているようにしか見えてこなくなる。壮大な宇宙観の中で、概念そのものが抽象的に再構築され、再構築された物語がさらに2度にわたって劇的に転換されると言う大きな枠組を持つ。しかしながら善意と悪意、希望と絶望が、概念として極度に純化されてしまうと、現実に目を背け小宇宙の観念遊びに過ぎないような箱庭感に違和感もまた覚える。それでもなお2012年の日本と世界を象徴するようなこの物語のありようは、是非はともかく【観るべきもの】である。なおコラージュを多用した前衛的・実験的な背景処理と魔女の造形にも驚く。