7月みた映画について書いた文章をネットにも上げます。少し古いですがおつきあい下さい。
【ぐるりのこと】
リリー・フランキーが演技というより地だと思えるんだけれど、彼がほんと魅力的な映画である。女性に対するこのリリー・フランキーさって、東京タワー・・・に描かれている彼のオトンを彷彿させるんだけど。それで彼と木村多江のちょっとしたやり取りを、すごく丁寧に描いている演出も良いのに、なぜか傑作になっていない。木村多江が最初の出産ができなくて傷つくところとか、肝心のシークエンスを省略してしまっているので、見る側の想像で補わなくてはいけない。しつこくてもきっちり書かないと不親切でしかない。リリー・フランキーが法廷画家となり色んな裁判の傍聴シーンがあるのだけれど、これも物語の遠景として処理されていて、二人の物語と有機的につながっていない。結局脚本のツメが甘いだと思う。もったいな映画だ。

【GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0】
押井守は、「うる星やつら」のTVシリーズ、そして「ビューティフル・ドリーマー」へと続く映画体験は衝撃的でさえあった。その後潜伏期に入るが、いつのまにか世界的な映画作家になってしまっていた。うっかりと取り残された僕は、取り残され続けたままなのである。攻殻の続編「イノセンス」は見たが、世評高い「攻殻機動隊」は今回初めて観た。追随を許さない屹立した映画世界がやはりあった。でも追いつき辿り着く足場を見つけられない僕は、やはり取り残されたままである。なぜ追いつくことができないのだろうか。
【カメレオン】
松田優作のために書かれた丸山昇一の脚本を藤原竜也主演で阪本順二が監督をした本作、「闇の子供たち」とほぼ同時期に公開され、その唐突さに戸惑う。映画は、藤原の丸い顔の上に、松田優作のシャープな顔とシャープな体が重なってしまう、そう松田優作のために書かれたシナリオであることが刻みつけられていて逃れることができない。時代風俗的なギャップと共に、終始違和感がつきまとってしまうのだが、それでもなお、村川透のそれとは全く異質な阪本のアクション映画振りが、面白い。村川、沢田幸弘らの日活ニューアクションとも、深作欣二らの東映アクションとも、ハリウッド的アクションとも、いずれでもない異質な阪本独自のアクション表現に初めて気付かされた。そもそも「どついたるねん」の赤井英和をはじめ、大和武士、辰吉丈一郎らを使い、役者の肉体でアクションを描き出す監督だと思い込んでいたが、違った。阪本は本当はカメラの不穏な映像でアクションを紡ぐ監督だったのだ。昔からよく見る廃虚のなかのカーチェイス・シーンも何だか違っている。カット割りをシャープに切っていくようなアクションではなく、カメラの眼差しが不穏なのである。その不穏さが強いる緊張感とぶっきらぼうなカット割りから来る弛緩の共存が阪本流アクション映画を構成している。傷だらけの天使、新仁義なき戦い、と続いてくるアクション映画監督に改めて注目である。

【クライマーズ・ハイ】
原田監督のこの見事な職人的大監督ぶりは、どこからくるのだろうか。確実に面白い映画がきっちりと描ききる力量は、日本映画史上随一ではないだろうか。ただし最後の堤真一の決断は、映画的カタルシスに反するのではないだろうか。文字で描く小説ではあり得ても、映画のクライマックスとしては失敗ではないのか。もしこの結末であれば、もっと主人公の内面にフォーカスした小さな映画に組み換える必要があるように思う。いずれにせよ、面白い。しかし原田監督は、おニャン子・ザ・ムービー危機一髪、バウンス・コギャル、伝染歌、と連なるガールズ・ムービー・シリーズの方が断然面白いのである。
【パークアンドラブホテル】
まるでヨーロッパによく落ちているアート系映画のようだった。つまらないと言うか面白くならないと言うか。断片的で思わせぶりな登場人物が出たり入ったりするだけで、りりぃの、梶原ひかりの、神農幸の、ちはるの、この映画の中の登場人物の心理がいいかげんに放ったらかされたままである。そのことをオシャレだと勘違いしているかのように進めて行く映画が腹ただしい。

【百万円と苦虫女】
「月とチェリー」が圧倒的に面白かったタナダ・ユキ監督の長編劇映画第2作は面白いのか。今回は蒼井優を主演にして、単館ミニシアターだけでなく、MOVIXなどのシネコンなどにも拡大されての上映。で、どうかと言うと、悪くはないんだけど。「月とチェリー」の圧倒的な面白さや。江口のり子の圧倒的な存在感はなくて、普通に単館用の佳作てとこ。最後のエンディングも中途半端、でも蒼井優だから安心して見れてしまう。
と、思っていたのですが、友人からこの映画は「蒼井優が寅さん」である映画だと説明されて納得しました。そう見ればエンディングも納得だし、面白い映画です。是非シリーズ化して欲しいなー。
【インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国】
インディ・ジョーンズのシリーズを封切りで見るなんて、たぶん初めてだ。「ミュンヘン」にせよ、「宇宙戦争」にせよ、そうカミンスキーが撮影監督になった「シンドラーのリスト」以降、ただならぬ映画を実は撮っていることに気付いたからには、見続けざるをえないのだろう。最新号ユリイカのスピルバーグの特集における、蓮實重彦と黒沢清の対談を読んでも、カミンスキー撮影監督以降のスピルバーグはただものではないようである。だから僕の中の断片的でしかないスピルバーグ史の補完作業を行う必要を感じてもいるのだ。そしてこの映画なのだが、欠落だらけの僕のスピルバーグ史では把握不可能なようだ。まるで映画を見ていると言うより、テーマパークのジェットコースターに乗っているようで、コースターを下り落ちるように、手に汗握るシーンへと向かったと思えば、いつかはコースターのように映画は降下から上昇へと転じている。それはもちろん次の降下への準備だ、だから必ず再び降下する、そしてまた上昇する。そうジェットコースターなんで降下と上昇はコースターのレーンに沿って予定調和的に訪れる、だからそのハラハラドキドキに安心して身を任せることができるアミューズメントだ。ありえないような、例えばどんなに大きな滝から落下しようともインディ達はコースターのレーンに沿って死なない。僕らも死なない。死への恐怖を感じずに、或いは死の恐怖と無関係に、映画のスリルが存在する。これはもはや、かっての映画ではないだろう。スピルバーグは映画のルックスを変えたくないとして、従来の暗闇を多用するカミンスキーの撮影を抑えて貰ったと言うが、僕には同じくカミンスキーの「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」の時のルックスに似ているように思う。ドラマトゥルギーに満ちた人間感情の葛藤の表現ではなく、映画の中の上昇と下降と言うフィクションを強調したかのような、そうまるでこの映画の中の、核実験用に作られたダミーの町のようなダミーなフィクション空間を強調した映画が、このクリスタル・スカルの王国だった。僕は未だ把握できていないが、この映画には不穏な空気が満ちていることだけは把握している。

【闇の子供たち】
問題作で話題作で、キャスティングも江口、妻夫木、宮崎、とTVでは高視聴率も取れるスターを起用してる割には、上映館が少ないのは題材ゆえかとも思って見に行った。昔々はハズレのなかった阪本だが、最近は時々期待を裏切ってくれる。これもそうだった、しかも今回はこの素材とこのキャスティングと言う挑戦までしながら、残念だ。映画館は7割の入りでまあまあだったし、普段はこのような単館系の映画を見ないような人も結構いただけに、このような観客の心をも不穏に揺さぶり、何かに見開かされるものであるべきだ。でもこの映画の殆どは無意味な違和感に終始してしまったのではないだろうか。まず何を描きたいのかがはっきりしない。臓器売買なのか、幼児売春なのか、臓器を買ってまで子を救おうとする親の心なのか、幼児売春に惹かれる心の闇なのか、貧困な社会に立ち向かおうとする社会正義なのか、いずれもが、中途半端に点在しながら、唐突に江口の心の闇だけが暴かれて放置されてしまう。阪本は主人公の心情を映像のアクションとして描くことに真骨頂があるのであって、社会的な問題を描くのは得手ではないようだ。であれば(決して成功作ではないが、それでも脚本で描かれた社会的な問題と、個人に回帰していく阪本演出の振幅が、映画としてのダイナミズムを保持していた。)「KT」の時のように、脚本は阪本自身ではなく脚本家に委ねるべきだったのだろう。
【スカイ・クロラ The Sky Crawlers】
ヴェネチアへの出品も決まった押井守の新作。「ジャパニーズ・クール」と呼びうる静謐な世界が描かれている。ここまでの世界観を実写で描いても受入れられないだろう。アニメであることで、なんとか理解を容易にし、世界を拡げているのだろうが。僕はと言えば、終盤まで見続けて、何とかその世界観が見える所にまでは追いつけたけれど、その世界の中に入るまでは追いつけない。

【西の魔女が死んだ】
長崎俊一は、器用でうまい映画監督だ。「八月のクリスマス」とか本作とか上手く作ってしまう。ミニシアター+シネコンで結構上映館も多いのにロングランを続けているんで、ヒットしているのだろう。喜ばしいことだ、長崎がまた次の映画を撮れる。しかし「闇討つ心臓」を見た時のようなスリリングな映画体験はこの映画にはない。余りにも上手くまとめすぎている。こんなに上手く作ってしまわずに、もう少し飛躍しても観客はついてくるだろうにと思う。
【ぐるりのこと】
リリー・フランキーが演技というより地だと思えるんだけれど、彼がほんと魅力的な映画である。女性に対するこのリリー・フランキーさって、東京タワー・・・に描かれている彼のオトンを彷彿させるんだけど。それで彼と木村多江のちょっとしたやり取りを、すごく丁寧に描いている演出も良いのに、なぜか傑作になっていない。木村多江が最初の出産ができなくて傷つくところとか、肝心のシークエンスを省略してしまっているので、見る側の想像で補わなくてはいけない。しつこくてもきっちり書かないと不親切でしかない。リリー・フランキーが法廷画家となり色んな裁判の傍聴シーンがあるのだけれど、これも物語の遠景として処理されていて、二人の物語と有機的につながっていない。結局脚本のツメが甘いだと思う。もったいな映画だ。

【GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0】
押井守は、「うる星やつら」のTVシリーズ、そして「ビューティフル・ドリーマー」へと続く映画体験は衝撃的でさえあった。その後潜伏期に入るが、いつのまにか世界的な映画作家になってしまっていた。うっかりと取り残された僕は、取り残され続けたままなのである。攻殻の続編「イノセンス」は見たが、世評高い「攻殻機動隊」は今回初めて観た。追随を許さない屹立した映画世界がやはりあった。でも追いつき辿り着く足場を見つけられない僕は、やはり取り残されたままである。なぜ追いつくことができないのだろうか。
【カメレオン】
松田優作のために書かれた丸山昇一の脚本を藤原竜也主演で阪本順二が監督をした本作、「闇の子供たち」とほぼ同時期に公開され、その唐突さに戸惑う。映画は、藤原の丸い顔の上に、松田優作のシャープな顔とシャープな体が重なってしまう、そう松田優作のために書かれたシナリオであることが刻みつけられていて逃れることができない。時代風俗的なギャップと共に、終始違和感がつきまとってしまうのだが、それでもなお、村川透のそれとは全く異質な阪本のアクション映画振りが、面白い。村川、沢田幸弘らの日活ニューアクションとも、深作欣二らの東映アクションとも、ハリウッド的アクションとも、いずれでもない異質な阪本独自のアクション表現に初めて気付かされた。そもそも「どついたるねん」の赤井英和をはじめ、大和武士、辰吉丈一郎らを使い、役者の肉体でアクションを描き出す監督だと思い込んでいたが、違った。阪本は本当はカメラの不穏な映像でアクションを紡ぐ監督だったのだ。昔からよく見る廃虚のなかのカーチェイス・シーンも何だか違っている。カット割りをシャープに切っていくようなアクションではなく、カメラの眼差しが不穏なのである。その不穏さが強いる緊張感とぶっきらぼうなカット割りから来る弛緩の共存が阪本流アクション映画を構成している。傷だらけの天使、新仁義なき戦い、と続いてくるアクション映画監督に改めて注目である。

【クライマーズ・ハイ】
原田監督のこの見事な職人的大監督ぶりは、どこからくるのだろうか。確実に面白い映画がきっちりと描ききる力量は、日本映画史上随一ではないだろうか。ただし最後の堤真一の決断は、映画的カタルシスに反するのではないだろうか。文字で描く小説ではあり得ても、映画のクライマックスとしては失敗ではないのか。もしこの結末であれば、もっと主人公の内面にフォーカスした小さな映画に組み換える必要があるように思う。いずれにせよ、面白い。しかし原田監督は、おニャン子・ザ・ムービー危機一髪、バウンス・コギャル、伝染歌、と連なるガールズ・ムービー・シリーズの方が断然面白いのである。
【パークアンドラブホテル】
まるでヨーロッパによく落ちているアート系映画のようだった。つまらないと言うか面白くならないと言うか。断片的で思わせぶりな登場人物が出たり入ったりするだけで、りりぃの、梶原ひかりの、神農幸の、ちはるの、この映画の中の登場人物の心理がいいかげんに放ったらかされたままである。そのことをオシャレだと勘違いしているかのように進めて行く映画が腹ただしい。

【百万円と苦虫女】
「月とチェリー」が圧倒的に面白かったタナダ・ユキ監督の長編劇映画第2作は面白いのか。今回は蒼井優を主演にして、単館ミニシアターだけでなく、MOVIXなどのシネコンなどにも拡大されての上映。で、どうかと言うと、悪くはないんだけど。「月とチェリー」の圧倒的な面白さや。江口のり子の圧倒的な存在感はなくて、普通に単館用の佳作てとこ。最後のエンディングも中途半端、でも蒼井優だから安心して見れてしまう。
と、思っていたのですが、友人からこの映画は「蒼井優が寅さん」である映画だと説明されて納得しました。そう見ればエンディングも納得だし、面白い映画です。是非シリーズ化して欲しいなー。
【インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国】
インディ・ジョーンズのシリーズを封切りで見るなんて、たぶん初めてだ。「ミュンヘン」にせよ、「宇宙戦争」にせよ、そうカミンスキーが撮影監督になった「シンドラーのリスト」以降、ただならぬ映画を実は撮っていることに気付いたからには、見続けざるをえないのだろう。最新号ユリイカのスピルバーグの特集における、蓮實重彦と黒沢清の対談を読んでも、カミンスキー撮影監督以降のスピルバーグはただものではないようである。だから僕の中の断片的でしかないスピルバーグ史の補完作業を行う必要を感じてもいるのだ。そしてこの映画なのだが、欠落だらけの僕のスピルバーグ史では把握不可能なようだ。まるで映画を見ていると言うより、テーマパークのジェットコースターに乗っているようで、コースターを下り落ちるように、手に汗握るシーンへと向かったと思えば、いつかはコースターのように映画は降下から上昇へと転じている。それはもちろん次の降下への準備だ、だから必ず再び降下する、そしてまた上昇する。そうジェットコースターなんで降下と上昇はコースターのレーンに沿って予定調和的に訪れる、だからそのハラハラドキドキに安心して身を任せることができるアミューズメントだ。ありえないような、例えばどんなに大きな滝から落下しようともインディ達はコースターのレーンに沿って死なない。僕らも死なない。死への恐怖を感じずに、或いは死の恐怖と無関係に、映画のスリルが存在する。これはもはや、かっての映画ではないだろう。スピルバーグは映画のルックスを変えたくないとして、従来の暗闇を多用するカミンスキーの撮影を抑えて貰ったと言うが、僕には同じくカミンスキーの「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」の時のルックスに似ているように思う。ドラマトゥルギーに満ちた人間感情の葛藤の表現ではなく、映画の中の上昇と下降と言うフィクションを強調したかのような、そうまるでこの映画の中の、核実験用に作られたダミーの町のようなダミーなフィクション空間を強調した映画が、このクリスタル・スカルの王国だった。僕は未だ把握できていないが、この映画には不穏な空気が満ちていることだけは把握している。

【闇の子供たち】
問題作で話題作で、キャスティングも江口、妻夫木、宮崎、とTVでは高視聴率も取れるスターを起用してる割には、上映館が少ないのは題材ゆえかとも思って見に行った。昔々はハズレのなかった阪本だが、最近は時々期待を裏切ってくれる。これもそうだった、しかも今回はこの素材とこのキャスティングと言う挑戦までしながら、残念だ。映画館は7割の入りでまあまあだったし、普段はこのような単館系の映画を見ないような人も結構いただけに、このような観客の心をも不穏に揺さぶり、何かに見開かされるものであるべきだ。でもこの映画の殆どは無意味な違和感に終始してしまったのではないだろうか。まず何を描きたいのかがはっきりしない。臓器売買なのか、幼児売春なのか、臓器を買ってまで子を救おうとする親の心なのか、幼児売春に惹かれる心の闇なのか、貧困な社会に立ち向かおうとする社会正義なのか、いずれもが、中途半端に点在しながら、唐突に江口の心の闇だけが暴かれて放置されてしまう。阪本は主人公の心情を映像のアクションとして描くことに真骨頂があるのであって、社会的な問題を描くのは得手ではないようだ。であれば(決して成功作ではないが、それでも脚本で描かれた社会的な問題と、個人に回帰していく阪本演出の振幅が、映画としてのダイナミズムを保持していた。)「KT」の時のように、脚本は阪本自身ではなく脚本家に委ねるべきだったのだろう。
【スカイ・クロラ The Sky Crawlers】
ヴェネチアへの出品も決まった押井守の新作。「ジャパニーズ・クール」と呼びうる静謐な世界が描かれている。ここまでの世界観を実写で描いても受入れられないだろう。アニメであることで、なんとか理解を容易にし、世界を拡げているのだろうが。僕はと言えば、終盤まで見続けて、何とかその世界観が見える所にまでは追いつけたけれど、その世界の中に入るまでは追いつけない。

【西の魔女が死んだ】
長崎俊一は、器用でうまい映画監督だ。「八月のクリスマス」とか本作とか上手く作ってしまう。ミニシアター+シネコンで結構上映館も多いのにロングランを続けているんで、ヒットしているのだろう。喜ばしいことだ、長崎がまた次の映画を撮れる。しかし「闇討つ心臓」を見た時のようなスリリングな映画体験はこの映画にはない。余りにも上手くまとめすぎている。こんなに上手く作ってしまわずに、もう少し飛躍しても観客はついてくるだろうにと思う。