・5月1日 韓国において、『聖書』の奥義を解明したとされる教理解説書『原理講論』の初版が出る。

 

とあります。

 

御父様とお母様の御聖婚は、1960年に行われています。

 

「原理講論」の「第七章 キリスト論」の「第一節 創造目的を完成した人間の価値」の「(一) 生命の木復帰から見た完成したアダムとイエス」に、

 

「堕落した人間は、彼自身の力では、到底、生命の木に復帰することができないので、ここに必ず、創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方が、すなわち黙示録二二章14節に、生命の木として表象されているイエスなのである。」

 

また、

 

第二節 創造目的を完成した人間とイエス」、「(二) 創造目的の完成から見た人間とイエス」に、

 

『ロマ書五章19節には、「ひとりの人(アダム)の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとり(イエス)の従順によって、多くの人が義人とされるのである」と記録されている。また、コリントI一五章21節には、「死がひとりの人(アダム)によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人(イエス)によってこなければならない」と表明されている。』

 

と書かれています。

 

「創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方が、すなわち黙示録二二章14節に、生命の木として表象されているイエスなのである。」

 

ということで、「再臨のイエス」が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されるということです。

 

 

次に、「第四節 重生論と三位一体論」、「(一) 重生論」、「(1) 重生の使命から見たイエスと聖霊」に

 

「アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。
 我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。」

 

「ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。」

 

「このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。」

 

とありますが、

 

「原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。

 

とありますが、

 

なぜ、

善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。

 

と書かれているのでしょうか。

 

「イエス」は、「アダム」です。

 

なぜ、

善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスとエバ(聖霊であった。

 

と書かれていないのでしょうか。

 

「創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方が、すなわち黙示録二二章14節に、生命の木として表象されているイエスなのである。」

 

つまり、

 

「この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。」聖霊の実体である「真の母」も「創造理想を完成した一人の男性」によって「堕落人間たちの中」から「復帰」されて、「善の母」となり、「イエス」と共に「真の父母」になり、原罪のない善の子女を生むということではないでしょうか。

 

1997年、「お母様の7年路程」を「お母様」は勝利されます。

 

第一、第二のお母様が失敗されて、第三のお母様が、「7年路程」を歩まれている1966年には、お母様を、「独生女」として、聖霊の実体である「真の母」として、「韓鶴子」の名前を「原理講論」に載せることは、当然、できなかったということは理解できますが、

 

もし、お母様が、「母胎から血統転換」されている、「独生女」として、聖霊の実体である「真の母」として、御父様に認定されていたとしたら、「原理講論」に、「お母様」の証があってもいいのではないでしょうか。

 

「原理講論」の 「総 序」にでも、あるいは、「キリスト論」にでも、「韓鶴子お母様の証」があってしかるべきではないでしょうか。

 

「母胎から血統転換」されている、「独生女」であるという主張は「お母様」がされてもので、「原理講論」においては、お父様に認定されたことではないということは言えると思います。

 

 

励みになりますので、毎日 ↓1クリック↓ お願いします!!


にほんブログ村