「原理講論」の「第七章 キリスト論」の「第一節 創造目的を完成した人間の価値」の「(一) 生命の木復帰から見た完成したアダムとイエス」に、

 

「堕落した人間は、彼自身の力では、到底、生命の木に復帰することができないので、ここに必ず、創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方が、すなわち黙示録二二章14節に、生命の木として表象されているイエスなのである。」

 

また、

 

第二節 創造目的を完成した人間とイエス」、「(二) 創造目的の完成から見た人間とイエス」に、

 

『ロマ書五章19節には、「ひとりの人(アダム)の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとり(イエス)の従順によって、多くの人が義人とされるのである」と記録されている。また、コリントI一五章21節には、「死がひとりの人(アダム)によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人(イエス)によってこなければならない」と表明されている。』

 

と書かれています。

 

「再臨のイエス(再臨主)」も

 

「創造理想を完成した一人の男性が、生命の木として来られて、万民が彼に接ぎ木されなければならなくなっている。このような男性として来られる方」として、「ひとりの人(イエス)」として

地上に降臨されるということがわかります。

 

次に、「第三節 堕落人間とイエス」に、

 

「したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。」

 

とあります。

 

次に、「第四節 重生論と三位一体論」、「(一) 重生論」、「(1) 重生の使命から見たイエスと聖霊」に

 

「アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。
 我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。」

 

「ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。」

 

「このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。」

 

「アダムが創造理想を完成した男性、すなわち生命の木となり、エバが創造理想を完成した女性、すなわち善悪を知る木となって、人類の真の父母となったならば、そのときに、神の三大祝福が完成され、地上天国は成就されたはずであった。しかし、彼らが堕落したので、反対に、地上地獄になってしまった。それゆえ、堕落人間を再び生み直してくださるために、イエスは、後のアダム(コリントI一五・45)として、生命の木の使命をもって(黙二二・14)人類の真の父として来られたのである。このように考えてくると、ここに後のエバとして、善悪を知る木の使命をもった人類の真の母が(黙二二・14)、当然いなければならないということになる。これがすなわち、堕落した人間を、再び生んでくださる真の母として来られる聖霊なのである。」

((2) ロゴスの二性性相から見たイエスと聖霊)

 

「アダムとエバが堕落して、サタンを中心として四位基台を造成したので、サタンを中心とする三位一体となってしまった。ゆえに彼らの子孫もやはり、サタンを中心として三位一体を形成して、堕落した人間社会をつくってしまったのである。
 それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである」

((二) 三位一体論)

 

「それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである。」((二) 三位一体論)

 

以上の御言葉から、

 

「再臨のイエス」は、、「ひとりの人(アダム)の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとり(イエス)の従順によって、多くの人が義人とされるのである」という立場で、地上に来られ、

 

「ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。」とあるように、

 

「真の母」が居なければなりません。

 

「したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。」

 

という御言葉と、

 

「原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。」

 

により、

 

「真の父」として来られた「イエス」は、「天から降臨された「父母」の立場にたたなければならないということで、「天から降臨された」、「善の母」の存在が必要となることが解ります。

 

「真の父」として来られた「イエス」(再臨主)」は、「イエス」がそうであったように、「祭司長ザカリアとマリア」の再現により、「天から降臨された」、「善の母」を地上に存在させた。

 

そして生まれたのが、「現在のお母様」です。無原罪の立場でお生まれになられた、「独生女」です。

 

『アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか?(中略)そのために(堕落世界は)近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。(中略)ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。それを近親相姦関係にしてしまったというのです。』
(「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)の御言1997年8月9日九里市水澤洞・中央修練院 )

 

この御言葉は、御父様とお母様が、父娘であることを示唆しています。

 

つまり、「神様の一人子」としてお生まれになられた御父様が、介入されて、この地上に、「独生女」がお生まれになられたということになりますが、

ここで重要なことがあります。

 

「独生女」としてお生まれになられた「お母様」は、「独生子」としてお生まれになられた「御父様」の相対者になる予定で、お生まれになられたわけではないということです。

 

「本来、旧教と新教が一つになって先生を受け入れていたら、今のオモニはオモニになれなかったでしょう。聖進のオモニがそのまま維持されていたことでしょう。」
(み言選集、337巻p18、2000年10月16日)

 

本来、「独生女」としてお生まれになられた「お母様」は、「独生子」としてお生まれになられた「御父様」の長子(その方は「真のご家庭」において、「独生子」の立場)・聖進様と御聖婚される予定であったと思われます。そして、本来の「真の御家庭」が実現されたのではないかと思われます。

 

「聖進様のオモニ」は、「独生女」ではないのかという問題が出てきますが、「聖進様のオモニ」

も、「独生子」としてお生まれになられた「御父様」により、「お母様」とは、違う立場と内容の「独生女」の立場に「復帰」されたということになります。

 

今まで母子協助して復帰摂理をしましたが、これからは父子協助時代です。アダムさえ堕落しなければ、エバはいくらでも創ることができるのです。

資料:み言選集 311巻192ページ 1999.09.04 <環境創造の能力者となれ

 

というよう御言葉も存在します。

 

しかし、お母様は、「特別な独生女」としてお生まれになりました。

 

「独生女」の方程式は、

 

「3代が独り娘の母系 」だから、「無原罪」としてお生まれになられたのではなく、「独生子」としてお生まれになられた「御父様」の「介入」により、「独生女」がお生まれになるということになります。

 

 

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