『2012年9月17日、真のお父様の聖和式を終えられ、2012年9月23日に真のお母様は指導者たちにその日の意義を回想されながら、真のお母様は二つの意味深いみ言を語られた。

一つは真の父母様の最後の聖餐といえる天正宮博物館のベランダでの午餐である。

真のお父様は江南聖母病院に入院しておられたが、病院が牢屋のようだと言われ、お医者さん方々や周辺の方々の助言にも耳を傾けず、真のお母様に天正宮博物館に行くことを強くお願いされ、行かれるようになった。

天正宮博物館でお父様は”今日は私(真のお父様)がお母様と二人で向かい合って食事をしたい”と言われ、天正宮のベランダにお膳を据えて二人だけの朗らかな食事時間がなさた。普段は教会の指導者たち約10名と一緒に食事をされ、報告を受けられ指示なさるなど食事時間を兼ねての会議時間が一般的であった。

真のお母様のみ言では

”(お父様は)食事をなさらず、最後まで私の顔だけをじっと見つめておられました。たぶん、ご自身(お父様)の心の中に私(お母様)の顔を刻まれるようでした。! ”と語られた。

次は酸素ボンベをのせて、天正宮の全ての部屋を見て回られ、触って見られながら、お祈りなさった。その後、天正宮の居間に入られ、録音機を持ってきなさいと命じられ、約10分間目を閉じられ、瞑想なさった後に最後の祈祷をされた。

”すべて成した”を三度、反復なさり、そして、すべてのことを天の前に捧げると語られ、最終的に”完成完結完了”なさったと祈祷された。

その後、真のお父様は私(お母様)の手をぎゅっと握って語られた。

”オンマ(お母様) ありがとう。オンマ(お母様) よろしく。”

このみ言を語られた後、次の日の8月14日、お父様は江南聖母病院に再入院されて、三週後に永遠に私たちの側を離れ、聖和なされた。』

(ブログ「分派侍JIN ただ今参上!」タイトル「真のお父様から最後、誰に遺言を託されたのか?」)

 

私は、上記の内容を読んで、今まで、「御父様の御聖和時の動画」がないことに、大きな疑問を持っていましたが、

御父様が、聖母病院での検査結果を医師より伝えられ、深刻な肺に関する病状で、「絶対安静」をすすめられたにも関わらず、退院された事情から、御父様は、退院後の御父様の行動に対して、ビデオで録画されるようにご指示されても不思議ではないし、それまで、ビデオ録画は、訓読会だけではなく、いたるところでされていたことを思うと、御父母様のご様子の録画担当のカメラマンだけではなく、他の方も、当然のように録画していたのではないか、と思いました。

 

「次は酸素ボンベをのせて、天正宮の全ての部屋を見て回られ、触って見られながら、お祈りなさった。その後、天正宮の居間に入られ、録音機を持ってきなさいと命じられ、約10分間目を閉じられ、瞑想なさった後に最後の祈祷をされた。」

 

とありますが、今まで、当然のごとく、録音機ではなく、ビデオでご様子を撮られて来たにも関わらず、なぜ、そのときだけ、「録音機」なのだろうか。

ビデオには、当然、録音機能がありますので、ビデオで、録画するのが当然のことで、今時、「録音機」(レコーダーか何か)で、御父様の音声を録るだけというのは、常識的に考えておかしいのではないでしょうか。

 

考えられることは、

「天正宮の全ての部屋を見て回られ、触って見られながら」のご様子は、ビデオで録画されていたが、「最後の祈祷」は、存在していない可能性があります。

あるいは、「最後の祈祷」の内容が、公開できないような内容であった、可能性があります。

 

「亨進様」の奥様「妍雅様」は、よくビデオを撮られるようですが、どうでしょうか。

 

御父様が「聖母病院」から出られてから、御父様のご様子を全く誰も撮っていないということが考えられるでしょうか。

 

「聖母病院」に再入院されたとき、お父様のご様子を誰もビデオに収めていないのでしょうか。

 

お母様の「御父様の安楽死の提案」の会議では、ビデオが撮られていたということです。

いまだに、公開されていないようなので、サンクチュアリの方も誰も見ていないのではないかと思いますが、そのような様子がビデオに撮られているのに、「聖母病院」からの退院以降は全く、御父様のご様子を誰も撮られていないということは、

 

異常的なことです。

 

「分派侍JIN ただ今参上!」の記事を読んだとき、私に、霊界から、強く訴えてきました。

 

「再臨主」であり「真の父母」である御父様の、 御父様の御様子が全くないということはありえない。

 

イエス様の時代には、ビデオが無いので、ご様子の状況はビデオでは存在しませんが、御父様はどうでしょう。

 

神様は、シックに見せられない内容が一部始終、取られているビデオが存在する!と私に訴えてきました。

 

「聖母病院」から、「清心病院」に「瀕死の状況の御父様」を転院される状況もビデオの納められていると思われます。

 

「清心病院」の御父様の病室には、「監視カメラ」はついていたのでしょうか。

プライバシーの保護の関係で、一般的には、病室には、ついていないとのことですが、精神障害患者の部屋や、特別室の場合、ついている病院もあるということです。

 

御父様の御聖和時のご様子には、二つの説があります。

 

 

2012/09/08の「今日もいいことがある!統一教会員のブログ」タイトル「お父様が聖和された瞬間の様子」に証しが載っています。

「真のお父様聖和の弔問初日に、清心平和ワールドセンターで梁昌植会長による礼拝が行われました。」

「そこで真のお父様が聖和された瞬間が報告されたそうです。
その内容によると
お父様は真のお母様と御子女様たちによる聖歌「園の歌」と「サランへ、アボニム」の歌を歌われた
お母様はお父様の手をずっと握られていた
お父様が霊界に行かれる直前、お父様はお母様の手を指でトントンと二回小さく打たれた
文亨進世界会長が祈祷される中、お父様は天暦7月17日(陽暦9月3日)午前1時54分に聖和された。

 

しかし、お母様も、亨進様も、国進様も、その証に関しては一切されていません。

 

もう一つは、

 

『「9月3日に日が変わり病室にいた、お母様、訓母様が「皆、病室から出なさい」と指示をされたそうです。病室に残ったのは、お母様、訓母様、医者(食口)の3人だけだったそうです。(国進様、亨進様もお部屋に戻られたそうです。)
そして、どのくらいの時間が過ぎたのか知れませんが、お父様が聖和されたそうです。」

「そして最後、お父様が息を引き取る時にお母様、訓母様と一緒にいた医者が、お父様の聖和後、お父様が息を引き取るまでの内容をインターネットで暴露?したそうです。自分はお母様と訓母様の指示によって酸素呼吸器を外したと...そのインターネットの内容はすぐに削除されたそうです。」』

 

という内容です。

 

上記の内容を裏付ける国進様の発言があります。

 

『彼は、訓母様の役事について真っ向から否定した。
訓母様に対し「ク○○」という言葉まで吐きながら「大母様ではない」と語り、
栄進様や興進様について聞いても、きちんと答えられなかったと語った。
更に「お母様と訓母がお父様を安楽死させた」と暴言を躊躇しなかった。』

 

私の投稿「国進様の証言は、何を物語るのか」をお読みください。

 

御父様が御聖和された病室内に「監視カメラ」が設置されていた可能性があります。

 

もし、そのような御父様の御聖和に至る一連のビデオが存在するならば、処分してしまうのではないか、と私は思いましたが、

 

神様は、「処分していいない」、と答えられました。この地上に存在しているということです。

 

そのビデオは、お母様が押さえているのかと聞いたら、「病院」での内容に関しては、意外な方のお名前が出てきました。

私は、故神山先生と電話でお話したとき、「安楽死」のことが出てきました。

私は、もし、お母様が罪を犯してしまったならば、地上で、償なわなければならないのではないでしょうかと言いました。しかし、もし、お母様が、投獄されてしまったら、「命が持たないのではないか」ということで、お母様の裁判を回避するということでした。

そして、回避されたと私は理解しています。

それ以上は、話しません。

 

mebiusuは、妄想壁があるために、今回の内容もそうかもしれません。

もし、そうなのだとしたら、今回の妄想は、かなり、私の心を強烈に揺さぶったものでした。

 

数年後か、数十年後か、数百年後(データの劣化で再現は難しいかもしれません)に、サタンが、処分しなかった歴史的事実が明らかになるかもしれませんね。サタンは、なぜ、処分しなかったのでしょうか。それは、「サタンが再臨主に勝った記録」だからです。

 

国進様は、なぜ、御父様の御聖和のご様子を証されないのでしょうか。

 

私が思うに、国進様は、ご自分に正直な方で、その場に居なかったのに、居たとは、言えないのだと思います。

 

良心の呵責を押し殺し続けることができるでしょうか。

 

晩年には、全てを語るときが来るのではないかと思います。

 

 

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