今回紹介する「論説」は、考察を進めていくには荷が重いと思いますが、現代科学といわゆる「霊界科学」の橋渡しのヒントになればと思います。

 

以前、「霊人体」には「脳」が存在するという投稿をしました。

大谷 明史 氏(統一思想研究院副院長)の論文に、

 

ダーウィニズムを超えて』という論文の「四章 心と脳に関する新しい見解」という論文があります。

この方の論説がすべて正しいというつもりはもちろんありません。とても興味。深く参考になります。

 

「統一思想においては、心と脳の授受作用によって、認識、思考、感情、意志
などの精神作用が生じると見る。心は生心と肉心の合性体である。そのうち、
肉心は性や衣食住を追求する本能的な心であって、直接、肉身に関係している。
他方、生心は愛に感応し、真善美の価値を追求するものであって、霊人体に属
する心である。そして生心は霊界と神に通じているのである。」

「霊的な存在(霊人体)の関与なくして、ニューロンだけの相互作用から現れ
るのは動物的な本能にすぎない。すなわち知情意の心が機能するためには、霊
人体における授受作用が必要なのである。そして、そこでは霊的な脳における、
霊的要素(霊的ニューロンというべきもの)の相互作用がなされていると見る
のである。ところで人間の肉身も霊人体もそれぞれ性相と形状の二性性相にな
っているので、肉身の性相としての肉心と、霊人体の性相としての生心からな
る心をもっている。そしてニューロンの相互作用および霊的ニューロンの相互
作用には、その相互作用を統合、総括している心が働いているのである。」

「人間の意識は個々人によって異なっているので、肉体の脳のニューロンの配
線も一人一人異なり、霊人体の脳の配線も一人一人異なっている。ここにおい
て肉体の脳は一生を通じて、たえず変化し、やがて活動を終える。しかし霊人
体の脳は肉体の生存中は成長し、肉体の死後も永存していくのである。人間が
一生を通じて、また肉体の死後も不変なる人格を維持しているのは霊人体が存
在しているからである。」

「統一思想において、精神と物質は異質な存在であるが、根源までさかのぼる
と両者は一つになっていると見る。すなわち、統一思想は宇宙の根源である神
を精神的要素と物質的要素の二性性相の中和体としてとらえるのである。それ
は二元論でもなく、一元論でもない。二性性相が一つになった統一論または唯
一論である。」

「統一思想から見るとき、人間は霊人体と肉身からなる二重的存在があるが、
霊人体の心を生心、肉身の心を肉心(または本能)という。人間の心は生心と
肉心の合性体であるが、その心の機能的な部分を霊的統覚という。霊的統覚は
知情意の統一体であって、関心(注意)、統合などの能動的な働きをもっている。
霊的統覚のことを意識といってもよいであろう。したがって意識が対象に関心
をもち、対象から来る断片的な映像を統合し、記憶の中からその映像に対応す
る原型を引き出し、両者を対比することによって認識がなされるのである。そ
のような意識の能動的な働きなくして、認識は不可能である。」

「この意識の能動性の問題は、脳におけるニューロンの配線をいくら研究した
としても解明できない問題である。これは脳のニューロンに働きかける、脳を
越えた存在である霊人体の作用を考えなくてはならない。すなわち、脳の各領
域から来る情報を統合しているのは霊人体の心の機能(霊的統覚)である。記
憶は霊人体の心の対象部分である内的形状に貯えられる。したがって物質とし
ての脳が変化したとしても、霊人体自体は永遠なので、記憶は保持されるので
ある。認識における関心も霊人体の心のはたらきによるものである。愛は心の
中の最も根源的なものであるから、愛が中心となれば心が脳に作用する力も強
くなるのであり、脳を活性化させるのである。」

「統一思想は、人間には肉身のみならず霊人体があると考える。その霊人体の
心である生心が情報の結合、原型の保持、抽出、知情意のはたらき、真善美の
追求などをなしているのである。動物には、霊人体がないのでそのような作用
は見られない。本能としての心または意識があるだけである。
人間の意識をささえているのは霊人体であり、さらにその背後には神の存在
があるのである。」

「(1)人間と動物の違い
遺伝子レベルで人類とチンパンジーを比較してみると、九八・八パーセント
まで一致しているという。これは肉体的にみれば、人間とチンパンジーはかな
り類似性があるということである。それでは人間とチンパンジーを区別するも
のは何であろうか。多くの神経科学者、言語学者たちの共通の考えは「人間だ
けが言語をもつ」ということである。」

「神が人間(アダムとエバ)という目標に向かって、原人を通過しながら、段階
的に創造されたのであり、最終段階において、霊人体が抽入されて、人間とな
ったのである。霊人体の心である生心は知情意の機能をもち、真善美の価値を
追求するものである。そして言語の基本的構造をもち、抽象的な思考、創造性
などの能力を備えているのである。同時に、そこには原型、クオリア等も備わ
っているのである。そのような霊人体または霊魂の存在を認めなくては、サル
と人間の違いは決して解明されないであろう」

「統一思想から見れば、心すなわち性相は内的性相と内的形状の合性体
である(図4―5)。内的性相とは、心の中の主体的部分である知情意の機能を
いい、内的形状とは心の中の対象的部分をいう。すなわち、考えられているも
の、感じられているもの、決意されているものをいう。心の中に思い浮かべら
れている観念、概念、法則、数理などが内的形状に属するのである。
内的性相である知情意の機能こそ、まさに能動的な心であって、それは霊人
体の心(生心)のもつ機能なのである。」

 

内容の一部をご紹介しました。

 

「この意識の能動性の問題は、脳におけるニューロンの配線をいくら研究した
としても解明できない問題である。これは脳のニューロンに働きかける、脳を
越えた存在である霊人体の作用を考えなくてはならない。すなわち、脳の各領
域から来る情報を統合しているのは霊人体の心の機能(霊的統覚)である。記
憶は霊人体の心の対象部分である内的形状に貯えられる。したがって物質とし
ての脳が変化したとしても、霊人体自体は永遠なので、記憶は保持されるので
ある。認識における関心も霊人体の心のはたらきによるものである。愛は心の
中の最も根源的なものであるから、愛が中心となれば心が脳に作用する力も強
くなるのであり、脳を活性化させるのである。」

 

とありますが、それでは、「霊人体」には、「肉身」に存在する「染色体・ゲノム・DNA・遺伝子

に相当する「物:システム」が存在しないのだろうかという「疑問」を持ちます。

 

もうひとつ、ご紹介したい「論説」があります。

遺伝する無意識の発見」です。「集合的無意識」を説いた「ユング」と「個人的無意識」を説いた「フロイト」に対し、「遺伝する無意識:家族的無意識」を「ソンディ」は説きました。

 

「ソンディの「運命分析」という深層心理学的理論である.その研究は家族的無意識の層を解明するもので,個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が,恋愛,友情,職業,疾病,および死亡における無意識的選択行動によって運命を決定する事実を研究の対象とするのである.ソンディが運命分析という名称を選んだのは,次の理由による.ソンディは単に精神だけでなく身体も,衝動や遺伝性質だけでなく魂の作用も,更に現世だけでなく来世の世界の現象も,彼の深層心理学的研究の中心においたのである.なぜなら遺伝情報は,祖先から我々を経由して子孫に伝わる運命の設計図だからである.」

 

「ソンディは,人間における無意識を構成する根本的な要素は性,感動発作,自我,接触の4つの衝動であり,それを構成するのは,,,hy,,,,の8つの遺伝因子の働きであるとする作業仮説を立てた.そして,個人が帰属する家系的な遺伝圏,遺伝趨性(結婚/職業/友情/疾患/死亡の趨性)祖先の欲求と祖先像,その自演などの知見と学説を構築し,それを測定し記号化するテストを考案し,「衝動病理学,衝動診断学,自我分析,運命分析療法,リンネ式表,衝動統合を失った人々」などの業績を築いたのである.」

 

ということで、「統一原理」の「 第五章 復活論」の内容を「科学的分野の心理学」が、全てではないですが、重要な見解を立証してきていると言っても過言ではないと思います。

 

それでは、「霊界」における先祖の欲求、抑圧を含む無意識が、「霊界」に存在する「霊人本体」のみに存在するのではなく、その「無意識」が「霊人体」に存在するかもしれない、肉身を持っていた時の認識、思考、感情、意志、欲求、抑圧を子孫の霊人に伝達する「霊的染色体・ゲノム・DNA・遺伝子」を介して、共有することがあり得るかもしれないということは考えられないのでしょうか。「原罪、遺伝罪、連帯罪」の罪が先祖の霊人から子孫の肉身および人生に「霊的染色体・ゲノム・DNA・遺伝子」という形を通して影響を与える可能性もあるのではないかと思われます。

 

ブログ「広神学研究所」において【御言に基づいた救済論】42. 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点」

 

「そもそも“罪”という言葉自体が既に宗教的、倫理的、法律的用語であることを考えると、それが“遺伝する”といっても、そのことが単なる生物学的遺伝を指しているのではないことは明らかです。つまり原罪の遺伝は、血液や遺伝子といったものを通じて、何か物質的なものが代々受け継がれていくということではありません。簡単にいえば、人類始祖の犯した罪(原罪)が遺伝するとは、人類が血統的な有機的一体性を有しているがゆえに、その血のつながりを条件(因縁)として法廷論的(forensic)に罪の讒訴が後孫にまで及ぶということ……つまり、生物学的要素を媒介(条件)とした讒訴条件の伝播なのです。」(『やさしい贖罪論』光言社192~194頁)
 

と書かれていて、

 

人類始祖の子孫への「罪責の転嫁」が、生物学的(存在論的)要素と、法廷論的(価値論的)要素との関係と書かれていますが、

 

「原罪、遺伝罪、連帯罪」の遺伝が、「肉身」のみを通して遺伝されるという見解が、

 

“原罪の遺伝は、あくまでも法廷論的なものであって、生物学的なものではない”」

 

という見解に繫がり、相矛盾したものになってしまうという状況に陥ってしまうと思われます。

 

「霊界においても」

・人類共通の観念形成傾向から作られる無意識の層:人間始祖の堕落に伴う「原罪」「堕落性本姓」等の人類に遺伝される「ファクタ」

 

・祖先から遺伝子を介して伝達される衝動傾向の層}(遺伝する無意識:家族的無意識})

 

・個人的無意識(後天的に作られる個人的外傷体験の層})

 

等の「遺伝」は「霊人体の脳内」の起こり得るのではないかということは考えられないでしょうか。「霊人体」は、地上において血統的つながりがあったとしても、霊界に行ったら、全く関係のない(影響を与えない)存在となってしまうのでしょうか。

 

メシアが「無原罪」として誕生し、「生物学的(霊人も含む)」にも法廷論的にも、人類の救済を実現されるにあたり、「生物学的」と「法廷論的」な救済観を過去の論説の観点で見極めようとすると「再臨主」とご家庭を通しての人類救済のプロセスを見誤る可能性があると思います。

 

ユダヤ教の律法学者が、当時の常識・先入観で「イエス様の救済」に関して不信した立場に陥ってしまうと思われます。

 

「霊人体」の機能についての理解がもっと進んでいけば、従来の「救済観」とはちがう「再臨主とご家庭」を通しての「救済観」が確立されてくるのではないでしょうか。

 

天使長ルーシェルとエバの「霊的堕落」が、生物学的に人間子孫に何の影響が起きえないという主張は、「霊人体の脳に刻まれた欲求や抑圧」が遺伝するいう可能性が、『ソンディの「運命分析」という深層心理学的理論』を通して見出せるということを知らないから起こり得る主張であると思います。

 

「霊人体の脳とDNA」の研究が益々進んでいけば、もしかしたら、霊人体に存在する「原罪因子」の発見がされるかもしれません。

そして、「霊人体の遺伝子操作」が可能となり、「原罪」解決は新たな方法で実現されるようになるかもしれませんね。

 

やはり、私には荷が重かったです。

終わります。

 

 

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