今までの個人的に「真の御父母様」と「真のご家庭」に関して研究および考察してきた内容を再び整理していきたいと思います。

長女 文誉進 離婚
長男 文孝進 離婚、再婚、不倫、麻薬
次女 文恵進 生後8日で死亡
三女 文仁進 不倫の末、私生児出産、離婚、再婚
次男 文興進 17歳のとき若死(交通事故)
四女 文恩進 離婚後、一般人と恋愛結婚
三男 文顕進 子供が1歳で死亡
四男 文国進 離婚、再婚
五男 文権進 子供ができない
五女 文善進 子供ができない
六男 文栄進 離婚後、投身自殺
七男 文亨進 学歴詐称
六女 文妍進 祝福受けず、同性愛の映画製作
七女 文情進 祝福受けず、自殺未遂

「ちゃぬの裏韓国日記」のタイトル「この堕落論の講義は真の家庭のことを言っているのですか?」に載せられた「真のご家庭」のご子女様の状況です。
妍進様、情進様は、2014年に一般の方と祝福を受けています。

「真の父母」による「ご家庭」がどうして上記のような状況になってしまったのか。
原因があるのであるのなら解明したいと思います。

今までの投稿で、考察内容を公開してきましたが、もう一度整理することにより、より、明解な原因が明らかになると思われます。

今回は、今年の1月に投稿しました、「お母様の原点」を再投稿したいと思います。

それではも読みください。

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お母様の原点について重要な、エピソードがあります。

お母様の出生の経緯です。

洪順愛大母様の直接の証しがあります。

「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」

(1973年洪順愛大母様の証)

ちゃぬさんのブログ「ちゃぬの裏韓国日記」「真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(6)」に

「真のお母様(韓鶴子)を身ごもったときは、父といわれる韓承運氏は単身赴任で黄海道の延白の小学校に行っています。単身赴任は、終戦後の1945年10月13日迄続きます。ちょうど妊娠・出産のときは近くで勤務していないのです。

そして、文教祖が本格的に神霊集団(聖主教、腹中教等)を本格的に巡回しだしたのは1942年(満22歳)からで、韓承運氏の単身赴任の時期と重なるのです。

洪順愛大母様のいた平安北道安州と黄海道延白郡は週末夫婦をできるような距離ではありません。まして、1942年当時、電車もなく汽車の時代です。行き来は容易ではないのです。

私が言いたいのは、韓承運氏と洪順愛さんが容易に夫婦関係を持つ時間があったかと言うことです。一緒に暮らしていないのです。妻ならば赴任地について行って一緒に暮らすのではないでしょうか?
その頃は、洪順愛さんは聖主教、腹中教の進行に狂信的に没頭していたときです。そして、1933年ごろ、洪順愛さんが結婚したとされる時期は李龍道氏の神霊集団(新イエス教)に傾倒するのと重なります。その間10年間子供がいませんでしたし、聖主教とは、夫婦間の性生活を断つ「聖別期間」をする団体でした。そういう中で妊娠したとすれば、本当に娘の韓鶴子夫人の父は韓承運氏だったかという疑問が残るのです。」

と書かれています。


私の投稿「お母様の本当の姓は、韓?文?それとも?」を読んでください。


お母様はの父親は、誰でしょう。


お母様の出生の経緯で、お母様が、「再臨主」として生まれてくるという啓示が洪順愛大母様と聖主教の信徒達に降りて、生まれる瞬間まで、お母様が、「再臨主」として、男の子として生まれてくると全員が疑いもなく思っていたいうエピソードがあります。

御父様が、「再臨主」として生まれ、もし、

「私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」という証しの相手が、単身赴任でいなかった韓承運氏ではなく、「再臨主」である御父様であったとすれば、

「お母様が、「再臨主」として生まれてくるという啓示」は、特別な意味がそこにあると思われます。

つまり、お母様が、アダムと御父様によって復帰されたエバ(洪順愛大母様)との間にできた、「再臨主」の血統を受け継いだ存在(胎中で聖別された状態)であるうと言うことを、一連の啓示で神様が示されたのではないでしょうか。


お母様が、「再臨主」として生まれてくるという啓示は、お母様が、御父様の「娘」であるということを神様が示唆されたエピソードであると思います。


そのエピソードの証しを載せますのでご確認ください。


姜義弘女史(36家庭)の証
『私は一九五五年の後半から一九六二年まで鷺梁津で呉(故呉永春)執事、大母様と共に借家で一つの垣根の中で暮らしました。この期間に大母様と呉執事から北で信仰生活なさった事情についてたくさん聞きました。大母様と呉執事のお二人は、北で再臨主を迎えようという熱烈な信仰集団で血縁以上の姉妹としてお過ごしになりました。北の共産主義の虐政が日増しに極悪になって、この信仰集団にも例外なく迫害が加えられました。このような渦中にあっても、ひたすら再臨主を迎えようという信仰は火のように燃え上がりました。このとき、大母様が懐妊なされました。
懐妊なさった大母様と食口たちに天の驚くべき啓示がおりました。唯一の望みが再臨主に出会うことだったのですが、天の啓示が、「順愛よ、おまえのおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めよ」というものでした。それだけではありません。複数の信徒たちにも「順愛のおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めて精誠を尽くしなさい」という啓示がありました。このような途方もない驚くべき啓示を受けて感謝と喜びと希望で再臨主とすぐにでも会ったような楽しいお祝いの雰囲気でした。待たれる再臨主の誕生日を指折り数えて待ちました。出産予定日になって大母様が再臨主を分娩されて、周囲が皆、希望していたことが現実として迫りました。
そのときのことを、真のお母様のご聖誕日を迎えて回想してみましょう。正に赤子は、この世に来られたことを天地に宣布する声と共に誕生しました。ところが当時、大母様とすべての信徒たちは喜びとともに一方では怪訝に思いました。再臨主と言われたのに男の子ではなく女の子が誕生したのです。このとき、神様は、どれほどもどかしかったことでしょうか。神様は、独り子を送り、貴く思って、信じて仕えて従うようにみ旨をくださったのに、男の子ではなく女の子だったのです。天の隠密な摂理のみ旨が分かりませんでした。』
(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘女史(36家庭)の証より)


史吉子女史(36家庭)の証
『私は、一九六〇年に三家庭の祝福を受け、真のお母様に直接、しっかりと侍るべき立場になりました。そのためには、真のお母様の成長過程や、歴史的な背景を少し知らなければならないと思い、それらのことについて、大母様にも何度かお話を伺ったことがあります。
大母様は初め、息子が生まれると思っていたということでした。神様は、「韓氏と結婚すれば息子、天の王子を送ってあげよう。」と、おっしゃったのですが、息子ではなく、娘だったのです。それで、“なぜ神様は、約束を守られなかったのだろう?”という疑問を、常に持ち続けておられたのだそうです。』
(「真のお母様にお仕えして」史吉子の証(三家庭))


なぜ、娘である「お母様」が「御父様」と御聖婚されたのでしょうか。


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