もう少し、「御父様の御聖和」について書きたいと思います。

「御父様の御聖和調査委員会」が立ち上げられるべきだと当初から主張していますが、
ご子女様を中心にどなたも「御父様の御聖和」に関し、疑惑を持たれていないのか、持たれていても、諸事情により、「御父様の御聖和」に関して真実を追及することをやめておられると思われます。

以前、「御父様の安楽死疑惑」の説は、二つあると書きました。

一つは、亨進様が語られた「聖母病院でのお母様によるお父様の安楽死未遂」の説です。

もう一つは、8月31日に、「聖母病院」から、清平の「清心病院」に転院し、その後、「お母様と金孝南氏の指示のもと、医師による安楽死実行」という説です。


一つ目の亨進様が語られた「聖母病院でのお母様によるお父様の安楽死未遂」の説ですが、

2015年7月5日 「背教の悪しき時代」の説教にて、

「全世界の教会がこのような条件を立てているとき、彼らは生命維持装置を取ろうとしていました。病室の中には世界のトップリーダー達がいました。

そこには朴ポーヒー、金ヨンイ、金孝南、、、、と私と国進兄さんがいました。義理の娘達はそこに入れてもらえませんでした。その時お母様はお父様の生命支持装置を取ろうとされました。

私は、「お母様、あなたはそれをすることができません。」と言いました。そうしたら、お母様は私にびんたをくわせました。私はお母様に、「もしあなたがそれをすれば、あなたは殺人者になります。50年間の苦労を無駄にしないでください。」と言いました。

朴ポーヒー以外の全ての36家庭のトップリーダー達は、皆黙っていました。その中の1人は「皆いつかは死ぬからね。」とまで言いました。私はそれを私自身の目で見ました。」

と語られています。

韓国では「安楽死」は合法ではないということです。

「安楽死」は、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」とあると言われます。

一般的に、「積極的安楽死」および、「消極的安楽死」は医師との相談の上、進められていくと思いますが、亨進様が証言された「お母様がお父様の生命支持装置を取ろうとされた」行為は、

「完全に、殺人未遂」となると思われます。

医師と相談し、裁判所に「安楽死」に実行の申請をし、その許可のもと、病院の倫理委員会の決定に基づいて、医師による「安楽死」の実行が実現されます。

その手続きを踏まず、「安楽死」に実行はできません。

一週間、一か月では、手続きを終えることはできません。数か月、半年と時間がかかります。

『その時お母様はお父様の生命支持装置を取ろうとされました。

私は、「お母様、あなたはそれをすることができません。」と言いました。そうしたら、お母様は私にびんたをくわせました。私はお母様に、「もしあなたがそれをすれば、あなたは殺人者になります。50年間の苦労を無駄にしないでください。」と言いました。』

もし、その場で、お母様がお父様の生命支持装置を取られていたのならば、完全に「殺人未遂か、お父様が亡くなられていたならば、「殺人罪」となっていたと思われます。

亨進様のこの証が本当であるならば、亨進様は、「お母様のお父様の殺人」を阻止されたことになります。

「韓鶴子お母様はご聖和間際になって、天が定めた日時よりもいち早くお父様を霊界に送ることを一時主張し、ただ一人パク・ボヒを除く多くの教会指導者と先輩シックがこれに同調、または黙認する姿勢を見せました。
しかしカイン・アベルが一体となって、力の限りに反対してこれを防ぎ、お父様は結局天が定めた日時に聖和されました。」(亨進様からの回答

と書かれています。

『真のお父様の安楽死(発言の)背後は訓母であることが明らかに
http://cafe.daum.net/tongilgyoyeouidoSJ/fg5R/3970
少し前に入った情報によると、お父様が集中治療室にいた時、
訓母がお母様にお父様の安楽死を主張したという。
お母様が訓母の意見に従おうとすると、亨進様が強く反発し、
訓母を指して「あの女はサタンだ。なぜあの女の話を聞くか」と言った。
するとお母様が亨進様のほおを殴り「お前は霊界を知らない」と語ったという。』

でという情報と一致しています。

しかし、上記の内容が起きたとされる日が、8月28日であると思われますが、その日に、御父様を「聖母病院」から「清心病院」への転院が決まっています。

「聖母病院」では「安楽死」は不可能であるということから、金孝南氏が当時、代表理事をしていた「清心病院」に転院されたと思われます。
そのことに対し、亨進様が、「安楽死(実際は殺人)」を阻止できたから、「転院」のことに関しては反対しなかったと語られていますが、(いつ語られたのかは、探すのが大変なので、明示できません)本当は、その「転院」を阻止しなければならなかったと思いますが、もう一つの説である8月31日に、「聖母病院」から、清平の「清心病院」に転院し、その後、「お母様と金孝南氏の指示のもと、医師による安楽死実行」という説に関して、「国進様」が語られた内容につながります。

詳しくは、投稿「国進様の証言は、何を物語るのか」をお読みください。

当時、デマ情報と思われていたいましたが、

『彼は、訓母様の役事について真っ向から否定した。
訓母様に対し「ク○○」という言葉まで吐きながら「大母様ではない」と語り、
栄進様や興進様について聞いても、きちんと答えられなかったと語った。
更に「お母様と訓母がお父様を安楽死させた」と暴言を躊躇しなかった。』

という「国進様」の証言が、

「9月3日に日が変わり病室にいた、お母様、訓母様が「皆、病室から出なさい」と指示をされたそうです。病室に残ったのは、お母様、訓母様、医者(食口)の3人だけだったそうです。(国進様、亨進様もお部屋に戻られたそうです。)
そして、どのくらいの時間が過ぎたのか知れませんが、お父様が聖和されたそうです。」

「そして最後、お父様が息を引き取る時にお母様、訓母様と一緒にいた医者が、お父様の聖和後、お父様が息を引き取るまでの内容をインターネットで暴露?したそうです。自分はお母様と訓母様の指示によって酸素呼吸器を外したと...そのインターネットの内容はすぐに削除されたそうです。」

という情報が一致していることから、信ぴょう性が高いと思われます。

その内容の信ぴょう性が高いと言える裏付けとして、

・お父様が御聖和されたご様子の動画がないこと、

・亨進様の御父様の御聖和時の御様子の証が、ないこと。

唯一語られているのは、

「当時、清心病院では、最後まで酸素がお父様に付けられ、聖和後になってはずされました。」

ということだけです。他に語られているのでしたら教えていただきたいと思います。

・梁昌植会長の御父様の御聖和時の証を亨進様が語られていないこと。

『そこで真のお父様が聖和された瞬間が報告されたそうです。
その内容によると
お父様は真のお母様と御子女様たちによる聖歌「園の歌」と「サランへ、アボニム」の歌を歌われた
お母様はお父様の手をずっと握られていた
お父様が霊界に行かれる直前、お父様はお母様の手を指でトントンと二回小さく打たれた
文亨進世界会長が祈祷される中、お父様は天暦7月17日(陽暦9月3日)午前1時54分に聖和された
ということです。』


梁昌植会長の御父様の御聖和時の証の内容を亨進様はご存知ないのではないかということです。

国進様も御父様の御聖和時の証を語られていないと思われます。

つまり、国進様も亨進様も、御父様の御聖和の立ち会いをされていない可能性があると思われます。

結論として、

御父様の「安楽死」は、「清心病院」への転院後に、実行されている可能性があり、そのことを
隠すために、

『8月28日の「訓母がお母様にお父様の安楽死を主張したという。
お母様が訓母の意見に従おうとすると、亨進様が強く反発し、」』の証を強くされているのではないかと思われます。

「安楽死」のトリックは、

「しかしカイン・アベルが一体となって、力の限りに反対してこれを防ぎ、お父様は結局天が定めた日時に聖和されました。」

という8月28日の出来事を強く主張することで、9月3日の「安楽死」実行を隠す、というものではないでしょうか。


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