先々回の投稿「驚愕の謎解き!!お父様の御聖和の犯人を示す数理性の神の声」で、お父様の御聖和の日にち、陽暦2012年9月3日、旧暦2012年7月17日という日にちの中の数字と、

お母様と金孝南氏の姓名の画数が一致していたということを書きました。

もう一度、確認してみます。
注意していただきたいのは、お父様の御聖和日とお母様と金孝南氏の姓名の画数は、私が、適当につじつまあわせの為に作ったのではありません。
私が、お父様の御聖和日を決定できるはずも無く、教会の発表で、陽暦2012年9月3日、旧暦2012年7月17日となっています。
また、お母様のお名前、「韓」の画数を私が17画にしたのではありません。
「韓」という字の画数は、私が生まれる前に当に決まっているものです。

画数を調べられるサイトで、調べてみれば解ります。
文字の字画を調べるサイト「いいなまえねっと」で調べてみてください。

お断りしていますが、そのサイトは私がつくったサイトではありません。

あくまでも日にちや画数は私と一切関係のないものです。
私の主観で、本当は15画なのに17画としているわけでもありません。
それらの日にちや画数は、私達の影響で変化するものではなく独自に存在しているものです。
ごく当たり前のことです。

陽暦2012年9月3日の「9」と「3」、旧歴2012年7月17日の「7」と「17」

に対して、

「韓 鶴 子」 の各文字の画数は 「韓=17 鶴=21 子=3」です。

「金 孝 南」 の各文字の画数は 「金=8  孝=7  南=9」です。

お母様と金孝南氏の姓名にお父様の御聖和日 陽暦9月3日の「9」と「3」、旧暦の「7」と「17」があります。

これらの数字の一致が全くの偶然に起こりえることなのだろうかという疑問が湧いてきます。

これだけでしたら、なぜ、こうも数字が一致しているの解りません。

しかし、次の条件を加えると、この数字の一致の意味が解ってきます。

お父様がソウル聖母病院で危篤中に起きた事件があります。
韓国にお嫁に来てから17年の日本人妻(統一教会信徒)が韓国人夫を殺害した事件が8月21日に起きました。エバがアダムを殺意害した事件です。

その事件が起きた日が、8月21日です。

エバがアダムを殺害した日、8月21日の「8」と「21」を条件に加えます。

「金=8」と「鶴=21」が一致します。

お父様の御聖和日の「9」と「3」、「7」と「17」の一致、

妻の夫殺害事件の「8」と「21」の一致は、お父様の御聖和の真相を暗示しています。

また、先回、書きませんでしたが、

陽暦9月3日の「9」と「3」、旧暦2012年7月17日の「7」と「17」、

殺人事件の8月21日の「8」と「21」の

「9」と「7」と「8」の数字が全て、「金=8  孝=7  南=9」に入っています。

このことは、金孝南氏がお母様を誘導して実行に移したということを暗示していると私には思えてしまいます。

先回、これらの数字は神様からのメッセージだといいましたが、とても重要なことに気がつきました。
それは何かというと、陽暦9月3日、旧暦7月17日の組み合わせの一致する年が過去に何度あるのかということです。
陽暦に対し旧暦は、毎年ずれていきます。2013年の旧暦7月17日は、陽暦8月23日となり、今年、2014年は陽暦8月12日となります。
どのように過去において陽暦9月3日、旧暦7月17日の組み合わせの一致する年を調べればいいのか解りませんが、問題は、陽暦9月3日、旧暦7月17日の組み合わせの一致する年というのは、状況により変化するといったものではなく、過去数千年前よりすでに決まっているということです。

Wikipediaで、陽暦9月3日と旧暦7月17日が一致する年があるのが一件だけですがわかりました。
「慶応4年(グレゴリオ暦1868年9月3日) - 詔勅により江戸を東亰に改称」とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8817%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6)

他にも一致する年があるかも知れませんが、1868年ということですので、144年前ということになります。144という数字も聖書の「ヨハネの黙示録」の144000人と数字が一致していますがただの偶然でしょうか。

つまり、陽暦9月3日と旧暦7月17日が一致する年にお父様の御聖和は、お父様が生まれる前に2012年に決まっていたということです。

つまり、神様は、2012年に、陽暦9月3日と旧暦7月17日の数字を持つものによって他界されることをお父様が生まれる前からご存知であったということを知ることができます。

もちろん、その日に、その数字を持つ者達によって他界させられることから逃れる道はあったと思いますが、その日に他界されるのがお父様に運命付けられていたということが解ります。

金孝南氏を早めに排除していれば、お父様のその運命は変えられたのかも知れません。
お母様との夫婦の亀裂を作ることを防止できていれば、その運命は変えられたかもしれません。

その日を素通りして基元節を迎えられたのかも知れません。

清平の摂理で、金孝南氏を大母様と同一視して金孝南氏をテモニムと呼ぶようになって金孝南氏の位置を高めてしまった信徒の利己的な欲求のつけが、お父様がその日を素通りすることを阻んでしまったのかもしれません。

19年前に金孝南氏の長男を他界されていた大母様の養子にされ、韓の姓を名乗らせたときから、陽暦9月3日(旧暦7月17日)の2012年のお父様の御聖和に向かって突き進んできたと思われます。




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