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前記事「悲しみは」
の続きです。
悲しい に限らず、
くるしい つらいといった「生きづらさ」
というものは、どうも連鎖 増幅するように思います。
私事ですが、自分は主に思春期の頃
「みんな」と同じができず、
人間関係が下手で、
適応するのがなんとなく苦しかった、
と思う、のですが。
「と思う」というのは、
実を言うと今でもよくわからないんです。
どうして「そう」だったのか、
どういうことだったのか、
そもそも本当に「そうだった」のかさえ
今となっては自信がもてません。
ただ一つ言えるのは
そんな風に「よくわからない話であること」
「はっきりと言えないこと」そのものも
苦しみのもとだったのだろう、ということです。
たとえば原因不明の頭痛がずっと続くとします。
その頭痛自体もしんどいですが、
病院でも原因不明といわれてしまうと、
いつまで続くのか、
悪い病気ではないのかと不安になって、
そのことがさらにしんどいんじゃないでしょうか。
そしてその「苦しい」と
「それがよくわからない苦しい」の後にはさらに、
「それらがなかったことになる苦しさ」
が待っていることもあります。
「そんなことないよ」
「フツーだよ」
「気にしすぎだよ」
「皆一緒だよ」
厳密には一緒ではない から、
「そんなことないよ」と言う人が
経験したことのない悩みをかかえます。
苦しいと訴える人間がそんなことで悩んでいるなんて
傍からは考えつきません。
経験したことがないものがわからないのは
ムリもない、当然のことです。
今でも、自分は変わってる/た
という話をすると
嘘や言い訳を言っているときのように、
とても居心地がわるいです。
こうして今書いているのも^^;
「そんなことないよ」という言葉群は、
今思えばその人の励ましや優しさだとわかります。
「じゃあ他に何と言えと?」というような
常套句であることも。
でもそのときは
その反応は 悩みを受け止めてもらえないのだ、
この悩みは「悩んではいけない悩み」なのだ、
と苦しかったのでした。
そのときほしかったのは、
「そう思うことが何かあったの?」とか
「あぁ今そんな風に感じててつらいんだね」
という”よりそい”だったと思います。たぶん。
だから 今苦しい人、悲しい人、辛い人。
他の人がどう言おうと
あなたが言うなら「そう」なのです。
苦しんでいいです。
悲しんでいいんです。
辛いと思う気持ちを
なかったことにはしないでくださいネ。
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