「自分自身をコントロールする。」


単純なことですが、冷静に自分を見つめなおしてみたら、

色んな感情に振り回されていることに気がついた白メガネ39歳です。


盗んだバイクで走り出してから20年たった今、ようやく気がつきました。


何となくですが。。。世間の皆様ごめんなさい。


ひとまず誰に対してではないのですが、謝罪します。



僕の夢は「講演」出来るようになる事です。



しかし!



自分の事もコントロール出来ないのに、誰に何を言うつもりでしょうか?


こんな初歩的な事を最近になって気が付き、夢に向かえば向かうほど、

自分のあり方がだいぶかけ離れていることに気が付きました。



はじめの一歩として、自分自身意対するオーナーズシップを持つためにがんばりたいと思います。



「暗黙の期待」と「暗黙の答え」

無意識に相手に暗黙の期待をしているときってないですか?

そして自分の思ったとおりの答えを返してくれない相手に不満を持ったりしていませんか?


職場を例に考えて見ました。

上司→「Aの仕事をやるので各自考えて行動するように!」と指示をする。

部下1、部下2、部下3→それぞれが役割を認識してそれぞれに動き始める

上司→「それぞれが○○位の仕事をするはずだ」と認識している

部下1「自分は△△位やるべきだ」と認識している

部下2「自分は□□位やるべきだ」と認識している

部下3「自分は××位やるべきだ」と認識している


この結果、それぞれが受け止めた形について予想してみると

上司→六角形を作ってくると思っている。

部下1→三角形を作った

部下2→六角形を作った

部下3は五角形を作った

全員が一生懸命やりました!と言います。

しかし、評価されるのは部下2のみで、部下1と部下3は一生懸命やったのにも関わらず、

なかなか評価されないどころか、怒られたり注意されたりします。

場合によっては部下2も別な形を作っているときがあります。

そして、こんな状況の時に上司がよく使う言葉は

「どうして俺の言ったとおりにやらないんだ?」

「どうして俺の考えがわからないんだ?」

的な感じになります。

そして、これをやられた部下は

「○○上司のせいでうまくいかなかったよ」

「あいつ(○○上司)俺は良いと思ってやった仕事なのにわかんねんだよ!」

等といいながら居酒屋のカウンターで飲んだくれます。


世の中こんなやりとりや、行き違いのケースが多くないでしょうか?

言う側は勝手に「相手がわかっているはずだ」と思い込み

受ける側も「こんなことを言っているはずだ」と引き受けます。

でも出来上がりの形が違うと怒られたりします。

怒られた部下は「ちゃんと指示しない上司が悪い」と思い始め、

上司は「部下2は仕事が出来る」と評価し

「部下1と部下3は仕事の出来ないやつ」的な評価になっちゃったりします。


毎日の生活の中でこの暗黙の期待と暗黙の了解を減らすだけで、かなりの問題を平和的に解決することができます。

もしこのような件でお悩みの場合は是非一度明確な「責任や役割に境界線を決定する」打ち合わせをしてみてはどうでしょうか?

「責任や役割に境界線を決定する」際に各自が「自発的」に考え、「明確な自分の境界線」を認識した時、驚くべき結果が待っています。

*この時上司側が「きめ細かな指示」をし、部下が「上司に決められた事」だけをこなしていくと「依存体質」が定着してしまいますのでご注意ください。

いかがでしょうか?僕の人生にはこんなことが山盛り見え隠れしました。

その時は職場内によくある問題だと思っていたのですが、常に双方の自発的な境界線設定によりこれらの問題はすべて解決します。

解決して快適になった職場では不満が減り、余裕が生まれます。

余裕が生まれると「発想」が育まれ、新しい事などに「挑戦」することが出来ると思ったらわくわくしませんか?

もしちょっとでもワクワクの職場を思い浮かべることが出来たらチャレンジしてみてください。


*あくまでも私個人の独断と偏見によるものなので、ご了承の上ご利用くださいw

「境界線」って言葉を聞いて第一に思いつくことってどんなことでしょうか?


私はこの言葉に出会ってから今までの人生の様々なことが一気に解決して心がとても晴れました。


それと同時に日々の生活や仕事などすべてのシーンに置き換えてみると、今まで当然だと思ってきたいろんな場面での判断基準をすべて見直すことになり、改めてこれからのあり方に反映されることになりました。

あまりの面白さに、「Q:最近はまっているものは何ですか?」と聞かれたら迷わず「A:境界線です」
と答えます。


それではその「境界線」とはどんなものなのか?について1つ例を挙げて見ます。


例1:

母A
→息子トミーに家族全員で11時半出発でディズニーランドに出かけるから、11時までに部屋の掃除をしなさい!と指示をした。


→息子は何度あおられてもやらずに11時まで掃除はしなかった


→母親は怒り出して息子に怒鳴った


→母親は夫と妹の三人でが掃除をした。


→一家は険悪な空気の中出かけることになった


母B
→娘が3人いました。「13時までに片付けを終わらせることが出来たらショッピングにいきましょう。
そのかわり片付けの終わらなかった子は家で留守番してもらうわよ。」と約束をした。


→娘1、娘2、娘3のうち1と3は約束通り終わらせたが、娘2だけが掃除をしなかった。


→13時の段階で母Bは娘に言いました。「
2はディズニーランドに行かないと決断したのね。
でもそれが本人の決めたことだから尊重するわ。」といって1と3と母の3人で出かけた。


→楽しい午後のひと時を過ごした




*母Aと母Bの違いは何でしょうか?


母Aがトミーに与えた「結果」
・親が何度も「やりなさい!」と言い続けたので、子供は自分で時間を気にする必要が無かった。
・母親がヒステリックに怒鳴ったので、問題がすり替わってしまった。「自分がやるべきことをやらなかった」→「うるさい母親」がトミーにとっての問題になった
・トミーのせいで家族全員が迷惑を被ったことにより、自分は家族の一日の予定や気分を左右することが出来ると思わせることになった。
・自分の無責任な行動を悲しみ、改善することが出来るが、今回の息子に中に湧き上がった感情は罪悪感や憤り、うるさい母親への怒りの感情しかなかった。
・息子は母親を苛立たせたこと意外は何の痛みを被ることは無かった。


母Bが娘2に与えた「結果」
・親はしつこく注意しなかったため自分で時間を管理しなくてはいけなかった。
・母親は冷静だったので感情のぶつかり合いにならず、自分の問題に向き合うことになった。
・家族は娘2の無責任な行動の被害者にはならなかった。
・自分の気分や計画を左右させることが出来なかった。
・感情敵名反応を起こさせることは無く、自分の行動のもたらした喪失感だけを味合わせた。
・無責任なことをすると大切な機会を失い、悲しい思いをするのは自分だという「原因」がもたらす「結果」を経験させた。


よくありがちな家庭内での光景は母Aのほうではないでしょうか?

私自身を取り巻く環境は人生全般において母Aのような環境が多かったと認識しています。

でも日常の出来事ひとつひとつを冷静に掘り下げていくと、母Bのように境界線の概念を持って自主性を尊重する考え方はとても大切なような気がします。


このテーマでブログを始めようと思ったきっかけは私自身が「境界線」の認識が甘く、
数々の過ちを犯してきました。


あまりに長くそれが習慣的に身についてしまっているため、今では毎日「境界線」のジャッジが
あたっているか外れているか?をジャッジしながら勉強しています。


その出来事1つ1つを書き留めて
いくことによって自然と身につけることが出来るのではないかと思ってはじめました。


かなり独り言的なブログなのであらかじめご了承ください。


それでは宜しくお願い致します。