クリスマスイブの日、

美香りんの「書けないお話&魔女の手しごとWS」を開催した。


「書けないお話会」をなぜ開催しようと思ったか…
それは私の身の回りに起こることが

書けないことばかりだったから。笑笑


特にここ数ヶ月の間…

いや、2022年始まってから?

いや、もしかしたらもうその伏線は何年も前から「ここ」に続いていたのかもしれないんだけど

そしてこれからも続くのかもしれないんだけど…


とにかく

今年は命と向き合う年だった。


そこで私が体験したことや感じたことは

文字で表すと後で読んだ時になんだか陳腐になる気がしていて…

新鮮なうちに(笑)言葉で

伝えておきたかった。


けど、このブログは

いずれこの体験を文字で表現する時のために

覚書として書いておこうと思う。


11月に入って…

大切な友人に

「結果は期待しないから、妻にヒーリングをしてほしい」と依頼をいただいた。


その方とは面識もあったし

ご病気だったのは知っていたし…

数年前からずっと学んでいたヒーリング。

つい最近、学ばせていただいたご病気の方のお痛みの緩和のヘッドトリートメント。

それが実践できる機会でもあったから…

何か私でお役に立てるなら是非させてくださいと

私はその方だけでなく、ご家族に寄り添うことを決めた。


初めてお宅に伺って…

介護ベッドに横たわっている彼女を見たとき、

私はイメージしていた全てのことが

ぶっ飛んでしまった。

いろいろ学んだはずなのに…

何をしてあげたら良いのかわからなくなった。

「できることなら治してあげたい」

そんな想いが込み上げてきた。けど、

実際問題

そんなことはできるはずもなく…


私が咄嗟に選択したのは

「降参すること」だった。


お役に立てるなら…って、一度は思った自分…

それが

正直な気持ちだったけど

私のエゴのような気がした。


今思えば私が「私が(我)」を捨てた瞬間であり

神さまにこれから起こること全てを委ねた瞬間でもあったような気がする。


本当の意味でのリスペクトってこういう感覚なのかもしれない。


「看取り」とは

「看」の文字にあるように、まず「手」を書いてその下に「目」を書きます。

看て取るためには、まずは手で触れないと始まらないということをこの言葉が教えてくれているように思います。(生前49日 長谷川ひろ子著より)


これは数年前に観た映画、「いきたひ」の本の一節。

この映画を観たことも

この一節も

後から思い出したのだが。


私ができることといえばとにかく手を使って

「触れさせていただく」ことしかなかった。


その方は私の「手」を

とても快く受け入れてくださり

気持ちがいいと言ってくださり…

その言葉や優しい眼差しで

逆に私が落ち着かせてもらい、

私が安心させてもらった気がする。


そもそも、

彼女と初めてお目にかかった時、

「なんて慈悲深い人なんだろう」

それが第一印象だった。


そしてベッドに横たわっている時の彼女に対する感覚は

「全て惜しみなく与える人」

そして

肉体的には辛いはずなのに

生命エネルギーに満ち溢れていた。

そして

今自分に起きていることも全て受け取っていて…

ある意味覚悟ができているような気がした。


何回目かの訪問の時の帰り道

私は言いようのない温かい気持ちが込み上げてきて

車の中で泣いた。

意味はわからない。

ただただ何かに感動しているというか…

共鳴しているというか…

魂が震えて止まらないというか…

「もっともっと彼女のお側にいさせて欲しい」

「触れさせて欲しい」

そんな感覚だった。


彼女をヒーリングするなんてとんでもない。

誰かを癒すなんて畏れ多い。

私が今対峙しているのは

何か私の想定していたスケールをはるかに超えた

大いなるものの存在だと感じた。


それは人の「命」の輝き。


瀬戸内寂聴さんによると

命が今まさに旅立とうとしているとき、

25mプールの529個分の水を瞬時に沸騰させるくらいのエネルギーを放出するのだという。

(生前49日 長谷川ひろ子著より)


もしかしたら私はその時すでに

その溢れんばかりのエネルギーに触れていたのかもしれない。


私の場合(?)人生いろんな場面場面で後付けで意味がわかったりする。

「ああ、そういうことかー」って。


選ぶのは自由だからって、

いかにも自分で選択したように見えて

実はこうなることがずっとずっと前から決まってたんじゃない?

って思うこともあるような気がする。


例えば神さまが

私にこんな機会を与えてくださったから

私は「させていただくこと」を決めたけど

いや、今となっては初めから「No」の選択なんてなかったんじゃないかなと思ったりする。


このことが私自身に与える影響と、

周りのご家族に与える影響と

もちろん彼女ご自身が受け取る影響と

いろんなことが複雑に絡み合って…

いつもいつも

それぞれの魂が望んだ

最高に豊かな学びの深い時間になるように設定されてるんじゃないだろうか。


何もできないと感じた私が

唯一信じるものがあるとしたら

「そこ」だった。


彼女とはいろんな話をした。

タケノコを掘るのが天才的に上手くて…

「来年のタケノコは自分で掘ってね。」って言われたので

「掘り方のコツ、教えてね。」私はそう答えた。


ご主人と初めてデートした場所や

子どもたちのことや

今食べたいものや

仏さまのお話や

紅葉はどんな感じ?

外は寒い?とか。

とりとめもない会話や

時々うつらうつらされている様子を見るのが

安らぎに満ちた幸せなひとときだった。


静かな声のトーンと笑い声のする空間。


そしてやはり彼女は

自分のことより

家族のこと、周りの人たちのことを

いつも気にかけていた。


私は毎回彼女に会うのが

楽しみになっていた。

とりとめもない話や

精油のこと、植物のこと、犬のこと。

彼女はどんなことでも「うんうん」って聞いてくれた。

動かしづらい手だったけど

ラインで繋がったからと

紅葉の写真を送ってくれた。



ありがたいことに

私には尊敬する大好きな先輩セラピストさんやヒーラーさんがいてくださったので

わからないことがあったり、不安になった時は

すぐにアドバイスをいただくことができた。

今日感じたこと、体験したことを報告して、

それからいただく返信はいつも愛に溢れ、

私に対する絶大的な信頼を寄せてくださっているのが伝わってきた。

だからその信頼を胸に次のヒーリングへと

繋げることができた。


私はひとりではなかった。

本当にありがたかった。


それと同時に…

命に直面している人たちに寄り添うセラピストさんが存在することにも深い感動があった。

決して表に出ることはなく

誰もが出会えるようで出会えない気もしていて…

それを使命として命懸けで向き合われていること。

そして

今その方達に私が出会えた奇跡についても

今はわからないけど

これからわかることがあるのかもしれない。



11月の終わりに…

私の感覚からすると

「彼女は突然旅立った。」


もう、自分で決めていたのかもしれないけど

私はまだまだ次も会えると思っていたから

正直びっくりした。


「最期の時を迎えようとしています」


その連絡をいただいたときも

手を合わせて祈るしかなかった。

ありがとう。

ありがとう。

私たちはここで深く繋がる約束だったんだね。

最期の数日だったけど

寄り添わせていただくことができて幸せでした。

たくさん学ばせていただけて幸せでした。


本当に幸せでした。


このことを伝えることについても…

伝えても良いのだろうか?

私がさせていただいたことさえ、良かったのかどうかまだ自分ではわからない。

これを読んだ方や関わった方を

どこかで傷つけるんじゃないだろうか?

そんな思いも拭えないまま

お話会を迎えることになった。

そしてこうしてブログを書いている。


ひとつ救いだったのは

ヒーリングを依頼してくださった方が

話すこと、書くことをむしろ勧めてくださったことだった。


お話会の当日の朝、

その方に

参加される皆さまに向けてのメッセージをくださいと

無茶振りをしてみた。


そしたら

全ての出会い

全ての体験

全ては奇跡だったんだ…

というメッセージをいただいた。

そして

みんな奇跡を体験するためにここへ来たんだと。


そうやね、

これからもっともっと愛が深まって

慈愛に溢れた人になっていくんやね。

私がそう返すと


おおきな悲しみは

やがては

おおきな慈しみを

産むんやね・・・


大慈大悲


と。


※ 大慈大悲の解説 - 学研 四字熟語辞典

だいじだいひ【大慈大悲】

仏教のことばで、仏の限りなく大きな慈しみのこと。


悲しみを知るからこそ、

慈しみの心がいつか、、出てくるのかもね。

そう、綴ってあった。


この悲しみというのは

辛い、悲しいとかではなくて

真の喜びを知ることにつながるような悲しみのような感じがしている。


さて。

私がなぜこのことを書こうと思ったか…


クリスマスの夜だったか、

夜中にトントンと寝室のドアをノックする音がして誰かが入ってきたのを感じた。

犬たちは静かにぐっすり寝ているから

悪い気はしなかった。

でもちょっぴり怖かったので

サイババのガヤトリーマントラをかけながらそのまま眠ってしまった。


後で思ったんだけど

金縛りだったら急に来るだろうし

最近はそんなことは減ったし…

律儀にドアをノックするって…

もしかして彼女かな?って

うっすら思ってた。


そしたら今朝

3:00ごろから目が覚めて眠れない。

言葉が、文字が降りてきて…

犬の散歩中も降りてきて…

書かないと忘れちゃうから

書かずにはいられなくなったってわけ。


私のお話は

上書きされるから

まだ続くのかもしれません。


この経験をさせてくださった全ての命へ

深い敬意と感謝を込めて。合掌。


長々とお読みくださりありがとうございました。