前回からの続きです。
空海は四国の室戸岬の洞窟で修行をしているときに
ものすごい光が自分の中に入ってきたと伝えられています。
U田先生のそんなお話を受けてか、
次のパネラー、S山先生はこんなイラストを描いて来てくださいました。
なんとも温かなお人柄の伝わるイラスト…
ここから整体師、S山先生のお話が始まります。
この1番上に描かれている、空海の修行中の絵は
ご自身がボクシングをされていた時の厳しい練習の後、ふっと浮かんだ景色に似ているそうです。
さて。
「悟り」というのは「差取り」
であると、聞いたことがあるんです。と、
S山先生。
自分と他者との差を無くすこと。
おまんじゅうの例を出してわかりやすくご説明くださいましたが、
結局、自分と他者との差(違い)があることに納得することなのかなぁと私なりに解釈しました。
人間の意識には
身体の意識=縛りを嫌う自由な意識と
頭の意識=何かに属していると安心な意識があると
先生はお話ししてくださいました。
私たちはいつも頭の意識にとらわれていますが
本来、身体の意識はもっと自由なのではないか。
例えば痛みがあるとしたら、その意識をずらすことによって、痛みが楽になるのではないか。
そんなお考えを元に、実際、モデルさんに登場していただき、施術をしてくださいました。
まず手首に近い方を空の領域。
肘に近い方を海の領域。
その真ん中を地の領域とし、
そこになんらかの歪み(その人の意識が止まっている場所)を探します。
そして今度はその部分を触るのではなく
足のストレッチを使って意識をずらしていきます。
手首に近い方を0度とし、
それに角度を合わせて施術される人が心地よいと
感じている場所を探します。
そして、その場所を見つけると、そこで足をホールドし、この心地よい場所をずらすという意味で
ここが嫌だと思わせます。
すると、意識が変わり、痛みが楽になるという、
全く新しい自由な発想のテクニック。
私は治療家ではないのですが、
意識を変えるという着眼点には激しく同意!
とても素敵なアイデアだなぁと思って拝見しておりました。
けれど、ここからがS山先生の
正直なお人柄が溢れるカミングアウトが起こります。(*´艸`*)
この手技をやっていて、S山先生は
「この手技と空海を照らし合わせると、矛盾が出てきたんです。」と、おっしゃいました。
この手技は意識を変えて「差を取る」=「悟り」の手技。
けれど、空海にとって、差というものはない。
考えれば考えるほど迷いに入り…
空海の修行状態になってしまわれたそうです。
でも、悟るということは
そういう矛盾に気づくことでもあるのかもしれないと、「悟る」=「気づく」という解釈に落ち着いたそうです。
この心の葛藤が生じるのは
人間の世界だからこそ。
人間は生まれた時は仏さまの心理なのだそうです。
けれどだんだん成長していくとともに
なんでも自分でやったように思い込んでしまい、
自らが仏さまであることを忘れてしまう。
空海は自分が仏であることを確かめるために
修行したのではないか。と、おっしゃっていました。
私たちも日々の生活の中で
いろんな葛藤を抱えながらも、
こうして仏の心理に気づいていくことが大切なのではないでしょうか。
続きます。