私は特にこの1ヵ月の間、

いろんな記憶を辿り
感情を味わっていた。

そんな中で
喜びも不安も
驚きも
祈りも…
全てうまくいく方向に向かっていくのを感じていた。

私は
娘が孫にかける優しい言葉や眼差しを通して
娘の小さい頃と自分を重ね合わせる。

父は
私が孫にかける優しい言葉や眼差しの中に
母の面影を探す。

私は
父がひ孫を見つめる眼差しの先にかつての小さな私を重ねてみる。

母が私や娘にしてくれたように
きっと
私は娘や孫に接しているんだね。

親は無償の愛というけれど
ほんとうにそうだ。
もっというなら
親だけではなく
祖母も祖父もひい祖父も精一杯
無償の愛を注いでいる。

この小さな命を
地球に誕生させるために
目には見えない存在たちも
全力でサポートしてくれているのを私ははっきりと感じているよ。

その源はどこからくるのだろうと思う。
このパワフルなエネルギーは
どこから溢れてくるのだろう。

ずっとずっと
辿ってみたら…

それは
親や、兄弟や、親戚や…
今まで出会った人たちから
自分が受け取った「愛」から
溢れてくるような気がした。

孫の眩いばかりの光は
それぞれが受け取ってきた
私たちの愛をさらに循環させる。

前に娘が嫁いだとき
心の中に大きな喪失感を抱えていたとき、
とある方にその心のうちを吐き出したことがある。

そのときその人はこう言ってくれた。
「それは、彼女の存在が大きかったからじゃないの。それもあるかもしれないけど、結局は美香ちゃんの愛がそれだけ大きかったってことよ。」

それを聞いて
涙が止まらなかった。

私の愛はそんなに大きかったの?
今頃になって
自分の愛を畏れた。

私の愛はそのとき
大きな喪失感だった。でも
私はそれで親の愛の大きさを知ることになった。

子どもが成長するとき、
なにかの節目のとき、
喜びと寂しさを同時に感じることがある。
そしてまた、
それはやがて大きな喜びに変わることを私は知っている。

私から
溢れ出た愛は
また娘の手から、眼差しから
孫に注がれることも知っている。

もっと辿ると
この愛は私だけのものではない。

御先祖や出会った人たちの想い、願い、祈りの中に脈々と流れる愛そのものなんだということも
知っているんだ。

与えて与えて与え尽くしても
だから愛はなくならない。

山奥の静かなカフェにて。