なにもすることができず、
でも家にばかりいると消えてしまいたくなるので
外に出かけ、森の中を歩きました。
辛い現状を知りたくなくてただ放心状態で歩きました。
そうすると、
ふと、
自分が自分から離れたような気持になったのです。
悲しんでいる自分とは別の誰かがあったかく自分を見守っていて、
それが大きな全体のような気分。
すべてから、解放された気分!
私は何も失ったものはなくて、
なくしたものは「こうでなければ嫌(人生思い通りのまま、すべて得た自分)」だけでした。
そうしたら、すごくうれしくてうれし泣きをしたくなる自分がいました。
ものすごく生きていることを喜んでいる自分、
ただ、ここにいるというだけで、いいということ。
大きな全体は、いつも変わらず、でもいつも変化していて、
そしてすべて、すべての瞬間で完璧だということ。
今、こうして何もかも手放した自分も完璧だということを強く感じました。
そしてふと気付きました。
考えが、現実を引き寄せることを知った時
「何もかも得られる」と最初は喜んでいて、楽しんでいましたが、
次第に
「もっと別のものを得なければ、もっと得るのに難しいものを得なければ」と
いう義務感に駆られるようになっていたことに。
モノばかりが増えて、「満足」を感じにくくなって
得た時に感じる「興奮」を満足と勘違いしているようになったのです。
そうした現実にストップをかけるように、
すべてを手放したのでした。