家から近いことあってかちょっくら上野(上野)3碑見てきました。


最初に金井沢碑 高崎市の南西に広がる観音山丘陵の城山団地に行く途中のところにあり、駐車場から少し徒歩で登ったところにあるます。




歌碑もあります。





次に、城山団地を抜け旧吉井町に抜ける主要な県道に出ます。そこから旧吉井町へ。

鏑川を渡って左側にあるのが日本3大古碑の1つ多胡碑があります。旧吉井町の中心街の端で鏑川のほとりで平坦なところにあります。
公園として整備されていて多胡碑記念館があります。その多胡碑記念館に入館しまして見てきたわけですがその中で気になったのが言葉と文字は表裏一体ではなかったみたいです。
言葉はあるけど文字が無い文化もあったようです。自論だけども文字というのは文明の5要素の一つとして考えています。あと、言葉と聞いてここさけを思い出す。

公園の中には多胡碑と記念館以外にも古墳が2つ





最後に山ノ上碑および古墳になりますが、観音山丘陵地帯の一番東側の丘陵地帯にあり、駐車場から急な階段をある程度上ったところにあります。
その階段。




実はそこから、遊歩道が整備されていて根小屋城跡を通って金井沢碑まで行けます。途中鎖があるところを通っていくのでちょっとした登山なんです。

山ノ上碑は佐野という地名が関係しています。


日本国内で古碑といわれているのは20程度しかなくて3碑が近いところで存在し保存状態がいいのは貴重だそうで、それが家に近くにあるのがいいですね。

山ノ上碑に来たのは小学校の6年生(1987年・昭和62年)の遠足以来でその時は根小屋城跡を通って金井沢碑までいきました。当時はあまり貴重なものとか歴史的なものとか気にも留めなかったですね。

碑が作られた時期としては 飛鳥・古墳時代の終わりから奈良時代の始まりくらいで、西暦でいう600年後半から700年の前半、7世紀の末から8世紀の初期くらいです。

この辺一帯は、古碑が3つもあるし、古墳も多いことから当時の政治的に重要な土地だったと考えられている。

調布の軽飛行機の墜落事故で気温が関係していたのではということで気温による空気密度を計算してみた。


計算式は

ボイル・シャルルの法則 から導き出された 気体の状態方程式より。

空気密度 ρ 単位 kg/㎥
圧力 P  単位 Pa (パスカル)
温度 T  単位 K (ケルビン) 摂し ℃ + 273 (絶対温度)
気体定数 R (水蒸気は考えないものとする)

ρ= P/(R*T)

圧力(気圧)P に比例して 温度(気温)T と 気体定数の積に反比例する関係。

現地気圧を1000ヘクトパスカル

気温(温度)を冬場を想定して 8℃ 夏場を想定して 34℃ で比較してみた。

1ヘクトパスカル = 100パスカル

気体定数 R = 287

気温 冬場 8℃の場合。

ρ = 100000/(287*(8+273)) ≒ 1.24 kg/㎥

気温 夏場 34℃の場合。

ρ = 100000/(287*(34+273)) ≒ 1.13 kg/㎥

冬場を基準にしたときに

1.13/1.24*100 ≒ 91.1 %

1割近く空気が少なくなります。

実際には、気圧も冬場は高く、夏場は低い傾向にありますからこれよりも差は出ます。

因に人体の影響を見ると、空気密度が低いと 酸素を取り込みづらくなります。 酸素濃度は春先に低くなり、秋頃が最も高くなり、年々ごくごく微量に低くなっています。工場地帯や都市部では低く、森林地帯では高くなります。それ以外に気象状態ににもよります。

2015年(平成27年)6月20日(土曜日) 地元でありながら一度も世界遺産 富岡製糸場に行ったことがありませんでしたが 今回初めて行ってきました。

富岡製糸場の歴史は 1870年(明治3年)2月に官営の製糸場を作ることを決定しその年の10月に建設地を富岡とすることを決定した。

1871年(明治4年)3月に建設をはじめ1872年(明治5年)7月に主要な建物が完成しその年の10月に操業開始する。

それから1987年(昭和62年)途中、官営から民営に変わるなどしたものの115年間、休むことなく操業を続けました。

製糸場が富岡が選ばれた理由ですが、群馬県が養蚕が盛んな他にも燃料である石炭や水や広い土地が得られたことや外国人指導の工場建設に住民が同意したこともあります。

1868年(明治元年)明治政府によって欧米の産業革命の技術を積極的に取り入れ、製糸業に用いて生糸の大量生産性を導入したのが富岡製糸場でその技術は明治政府に雇われたフランス人のブリュナさんによってでした。

養蚕→製糸→機織という過程の中で機織は 豊田自動車の創設者である豊田佐吉さんによって自動化され豊田自動織機という商標名で群馬県では桐生市に機織工場があります。のちに紹介する製糸する機械である自動操糸機は自動車会社でもある日産製です。創業当時から自動操糸機ではなく昭和になってからです。

群馬県は明治になってすぐに欧米の産業革命の技術を積極的に取り入れ発展してきた県です。
中島飛行機 ゼロ戦の設計者 家電と自動車といった機械が好きな県民性らしくヤマダ電機とビックカメラの創業地それに自動車の保有率全国1位 スバル自動車の富士重工(前身は中島飛行機)があるのもうなづける。

因に、富岡製糸場で働いていた人は殆どが女性で 働き者である女性のことをかかあ天下といっています。といっても富岡製糸場は過酷な労働ではなく日曜日制が導入され、寮生活で食事が提供され当時としては珍しく風呂にも入れたそうです。敷地内には診療所も用意されていました。

製糸の工程ですが、各地で集めた繭を乾燥と羽化防止のため高温状態にします、それから倉庫貯蔵してから製糸となります。糸を取り出すためお湯につける必要があります。工場はどこでもそうですが大量の燃料を使います。



東繭倉庫ですが レンガ造りで当時日本にはレンガ職人はいませんから瓦職人が作りました。目地のところは漆喰で材料は隣町の甘楽町や妙義山から調達。アーチ状の部分には明治5年と書かれています。1年4か月で作りましたからかなり短期間です。



女工館ですが、ここで製糸に関する技術を教わっていました。天井が当時日本になかった木の板を網の目にした構造になっていました。



操糸場の天井 これも当時日本になかった建築構造です。




操糸機で実際に糸を紡ぐところです。これがいくつも並んでいて一式の操糸機になります。




お湯につけた繭がバケットで運ばれてきて操糸機一式の端にある部分に運ばれここで糸の先端を取ります。そして各操糸機に送られます。



操糸機の説明。日産製です。



明治政府によって雇われたフランス人技術者ブリュナさんの住まいです。地下室もあるそうです。
実際に操糸機が動いているところを見たい場合は碓氷製糸の工場見学をしてください。碓氷製糸は群馬県安中市松井田町の上信越自動車の松井田妙義インターの近くにあります。今も現役で絹糸を製糸しているところは全国で2か所しか残っていません。