ブログネタ:入試の思い出 参加中高校・大学ともに、私の入試は
英語
に救われたと言っても過言ではありません

英語
に救われたと言っても過言ではありません

まずは高校。
本命の公立高校を1校と、滑り止めの私立高校を1校(2校だったっけ…忘れました^_^;)受けまし
た。
ちょうど、私が受験をする年から「裁量問題」という制度が登場し(詳しくはネットで検索してください)、かなりビビりましたが…逆に良かったのかもしれません。
みんな初めてですし、裁量問題を扱った過去問もないので対策のしようがなかったので。
…それはともかくとして、なかなか真面目に勉強をし、受験本番を迎えました。
まずは2月中旬の私立高校。
得意の英語は難なく解けたはずですが、例のごとく 大の苦手な数学は撃沈でした。笑
これで合格するのかと心配でしたが、なぜか合格。(^_^;)
おそらく、併願で公立高校を受験する人がかなり多く、それに合格すれば私立を辞退する人が多いために 人数合わせ的な意味があったのでしょう。
中学卒業後の進学先は、一応確保出来たという訳です。
そして、大本命の公立高校。
私の受けた学科は、文系の教科(国語・英語)の点数が1.5倍になるという仕組みがありました。
そのため、母は全く心配していなかった(英語で稼げると思っていたから)のですが、やはり受験をする本人としてはドキドキでした。
試験の初日は集団面接。
人生初の面接です。
今思えば、就職面接とは比べ物にならないくらい簡単で、お遊び程度でしたね

ですが、何も知らない年相応の少女らしく、手順通りに入室できるか、きちんと受け答え出来るか…等々と緊張しておりました(^_^;)
そして、次の日は筆記試験。
例のごとく、数学は撃沈(笑)でしたが(国語・英語で稼ごうと思っていたので元から放置していた 笑)、帰宅後に自己採をしたところ、数学以外は 私の中ではかなり良い点数でした。
英語に関しては、特に裁量問題で、良い意味で自分が今どこにいるのか分からなくなってしまうぐらいに問題に熱中し、最高の完成度で終えることができました。
裁量問題の一部がどんな問題だったのか、今でも覚えています(/ω\)
図書館に関して、数百文字以内で文章化せよ、というものだった気がします

帰宅をして自己採をするまでは、友人と「絶対に落ちて、私立高校だぁ~」と、ほぼ笑いながら繰り返していたのを覚えています(^_^;)
親にもそうやって宣言していました

本気には受け取ってもらえませんでしたが。
結局、結果としては公立高校に合格し、楽しい3年間を過ごしました



次は大学。
高校はランクを2つほど落とした学科に通っていたのと、定期試験前の休日は12時間近くも缶詰状態となっていた、いわゆるガリ勉でしたので、成績の方は問題なしでした。
あまり良くないですが、自分が将来的に通う大学は親の勧めであり、推薦で行くのがスムーズだと教えてもらっていたので、成績を落とさずに高校の3年間を走り続けました(もちろん、遊ぶ時は沢山遊びましたよ!)。
順調な道を走り続けて、高校3年生の夏~秋。
親には、受験料が勿体無いからという理由で、私立大学は受験をせず、国公立1本(=本命)で行くことになりました。
ここでも、親の自信過剰が発動…
それと裏腹に、私は心配性であったので、進路室から 自宅から楽に通える専門学校の資料を手に入れ、ここを滑り止めとしました(浪人だけは嫌だったので)。
特待生制度を利用するために、夏頃に試験を受けました。
目標の階級には到達しませんでしたが 何とか引っかかることが出来ました。
それから月日が流れー
学年末試験(?)が終わり、受験に向けての学校での講習が始まりました。
推薦では、センター試験の国・数・英の中で1番高い得点と内申点で評価が行われるため、私は英語のみをひたすら勉強していました。
予備校の無料講習にも通い、本番で最大限の力を発揮できるよう備えました。
しかし、ここから悲劇の連続で…
毎日欠かさず、センターの過去問や単語・熟語のチェックをしていたにもかかわらず、過去問を解けば解くほど点数が下がっていきました(ー ー;)
採点後に解説を読むと、本来ならば解けたであろう問題ばかりであり、段々と自信をなくしてきました。
過去問を解くのも憂鬱になるくらいでした。
少しの不安を残しつつ、センター試験本番。
簡単な問題(本当に簡単な問題でした)に騙されまいと、その1問に集中して見直しをしていると、普段の過去問を解くペースが狂ってしまい、他の問題の見直しが出来なくなってしまいました。
受験会場の帰りにも、地下鉄から降りて、また来た道を帰ろうとしてしまったり、JRを乗り間違えたりと散々でした(^_^;)
この辺りから、親も覚悟をしていたようで。
夕飯も喉を通らず、早く寝てしまいたい気分でした。
受験の翌日には、学校でもセンター試験の自己採点が行われたのですが、その前に家でやるように母に強く勧められました。
しかし、結果が目に見えていて 絶望していた私は断固拒否。
「学校に行って大泣きするの?」
と言われ、渋々承諾。
それまでの私と母の攻防は、イヤイヤ期の娘と その母親のそれといった感じでした(^_^;)
散々泣き腫らした顔をタオルで拭い、PCを開いて自己採点。
やはり、推薦で行くには難しい点数でした。
そして、その日のうちに自己採点を済ませておいて良かったと思いました。
学校での自己採点が終わり、私の大学の推薦会議が行われました。
わずかな希望を胸に、会議の結果を教室で待ちました。
暫くして担任の先生に呼ばれ、告げられたのは
「NO.」
1ヶ月後の大学の2次試験で、小論文の試験を受けることに決めました。
既に現実を受け入れた私は、先に公衆電話で父に結果を伝えて帰宅。
母は仕事だったため、帰宅した後に伝えた。
結局、推薦を得たのは私のライバルで、「Love♡に勝てない(絶対に推薦を取れない)かも~」と言っていたので、当時は少々恨めしく感じてしまったのが正直な所です。(^_^;)
2日後から、本格的な小論文の特訓が始まりました。
私の志望していた大学のOBであった先生が指導に当たってくださいました。
約1ヶ月弱の追い込み。
高1から数回に渡って「小論模試」というものがあったのですが、私には縁がないと思っており、全く受けてはいませんでした。
そんな小論ド初心者の私。
最初は本当に苦しかったですが、最後の希望を捨てまいと頑張りました。
初めの頃は、論文1本を書くにも5~6時間かけてしまい、合格には程遠く…
最終的には、目標タイム付近まで縮めることに成功し、一抹の不安を抱えながらも本番を迎えました。
結果は、見事合格。
小論の点数は、後から知った事なのですが 合格点ギリギリだったようです(^_^;)
ですが、結果オーライ。
無事に入学を果たし、幾たびの試験を乗り越え、長い休暇を満喫し、私史上 人生最大の難関とも言える卒論も終え、この春に卒業する予定です。
…とまぁ、中々長くなりましたが、私の受験の思い出は こんな感じです
