ホノルル美術館の『The King Kalakaua Era』展を見て来ました。

 

実はカラカウア王、日本ととても深いつながりがあります。

 

1881年(明治14年)3月、世界行脚の際に日本に立ち寄り皇室に縁談を持ち込んだエピソードは有名ですし、この来日がきっかけで多数の移民がハワイに渡ることになりました。

 

カラカウア通りに立つカラカウア像の台座には、官約移民百年祭委員会の名でハワイ日系社会に依って建立された旨が刻まれています。

 

カラカウア王の世界旅行やイオラニ宮殿建設は浪費、贅沢病と批判的に見る向きが強かったようですが、実際はハワイ王国の存亡をかけた決死の外交努力だったと言えるでしょう。

 

その努力は王の“ご学友”でハワイ王国国務大臣、そして外遊の随行員だったウィリアム・N・アームストロングの旅行記からも読み取ることができます。カラカウアは「国務大臣は日本で言えば総理大臣に当たる。その振る舞いに合わせるように」と忠告したり、明治天皇にカイウラニ王女と東伏見宮の縁談を持ち込んだ際には、アームストロングら随行員の目を盗んで出かけています。こうしたエピソードからも周到に準備していたことが伺えます。

 

アームストロングはハワイに渡った宣教師を両親に持つ白人で、非常にシニカルな視点も交えて旅行記を書いています。終始カラカウア王を「単細胞で子供っぽいポリネシア人」として描いているものの、王の意図を読み取れるようにハワイや日本の情勢を書き記している。

 

“アメリカ白人”のアームストロングは、すでにアメリカが支配している内閣の一員かつ宣教師の息子でありながら、欧米の態度を自分たちと異なる成り立ちのアジアの立派な文明国を、異教徒と侮蔑的に切り捨てるものと見ていて、旅の教訓として西欧の文明は物質的な発展にとどまり、モラルの点ではほとんど進歩していないという見方で結んでいます。

 


不平等条約改正に苦しむ明治維新後の日本の政治家たちと、「太平洋の十字路」ゆえにとりあえず独立国として大国同士が牽制し合うハワイ。

 


2018年の大河ドラマ『西郷どん』では大久保利通が不平等条約改正に打ちひしがれる姿が描かれていましたが、大久保が暗殺された3年後、日本とハワイ王国が条約改正に合意していた事実はあまり知られていません。

 

アームストロングは井上馨に宛てた手紙に、

 

「ハワイ政府は、条約問題に関して、日本帝国の主権をじゅうぶんに理解し尊重し、現在の条約における治外法権的権利から生じる特権を、すべて放棄する」

 

と書いた。

 

これをアームストロングは「国際社会という大平原の枯れ草の中に、火のついた松明を投げ込むのは、おもしろくてたまらない」と言い、「西欧大国の外交官たちが火を消そうと右往左往するのが、目に見えるようだ」と続けます。さらにこの件に関して「わがささやかなハワイ王国は、国際法という巨大な機械に砂をひとつかみ投げ込んだ」「大きな舞踏会のまっただなかに鼠をほうりこんだようなものだ。どんな大騒ぎになるだろう」とワクワクが止まらない状態になっています。

 

アームストロングは正式発表前にシレッと駐日アメリカ公使ビンガムに話しており、結局アメリカをはじめとする欧米諸国の圧力により合意は破棄させられてしまいました。外交官たちが右往左往したことは間違い無く、これでアームストロングは満足だったのでしょうか。

 



参考文献:『カラカウア王のニッポン仰天旅行記』翻訳・解説・荒俣宏

共訳・樋口あやこ

小学館文庫

 

 

 

 


ホノルル美術館。


図録、買いました。



カラカウア王が日本帝国から授与した勲章。



こちらはイオラニ宮殿で買ったプリンセス・カイウラニのポストカード。