宮崎駿はオッサンの姿をしたピーターパンなんでしょうか?
大人を認めたくないのかなぁ、悪者にしたいのかなぁ、と思われる描写が多すぎます。
この映画で言えば、ポニョの父親は、ポニョと主人公の男の子の邪魔をするし、男の子の父親も仕事で家にほとんど帰らないし、「愛してる」をモールス信号で繰り返し打つような軽率な男だし…
『千と千尋の神隠し』でも、主人公の両親が欲を出したせいで豚になるシーンがありましたね。
子供を過剰なほど純粋に描くのに、大人は汚く描きすぎな気がします。
純粋な存在を引き立てるために、汚い存在も必要なのは分かるんですが、毎回のように大人が汚く描かれるのも気にくわないんですよね。
宮崎駿はなんでこんなに大人が嫌いなんでしょうか?
ジブリ作品は、この作品あたりからマンネリしだしましたね。
人間と異世界の交流とか、人間が自然破壊の罰を受けるとか…
そういうのが飽きられ始めた頃の作品だと思います。
この映画を見ていて、好きになれない部分が二つあります。
一つは、オープニングで声優のテロップが出たこと。
僕はアニメで有名人が声優と分かってしまうと、キャラが喋っていても、その有名人の顔がちらついて映画に集中できないんです。
それが今回みたいに、オープニングで声優のテロップに有名人の名前が出たら、後にキャラが喋っても「これが所ジョージの声かぁ、これが山口智子の声かぁ」って想像してしまって、話が入ってこないんです。
せめてエンドロールに出してくれれば「あ、あの人の声だったんだぁ」って ちょっとしたサプライズになったんでしょうけど。
「声優の過剰な表現が作品にそぐわないので、プロの声優じゃない俳優を使っている」と宮崎駿が言っていたそうですけど、結局は話題づくりじゃないのかな?
あと一つは、母親は何故、あんな危険な状態の我が家に子ども二人を置いて飛び出したのでしょうか?
アニメだと思って多少のあり得ないことは見逃せしたとしても、あのシーンだけはいけません。
あんなことするのは、母親失格じゃないでしょうか?
母親とはぐれる話の流れにするにしても、あれはあまりに常識のないシーンでしたね。
声優の過剰な表現はダメで、こんな無理矢理な展開はよしとする、宮崎駿のアニメの基準が分かりません。
後半はよく見てないので、結末もよく覚えていません。
この映画やジブリが好きな人から「最後までちゃんと見てないのに、けなしてんじゃねぇよ」って言われそうですけど、僕から言わせれば、結末まで飽きさせないように作ってくれ、って話です。
ジブリ作品の何かを探して冒険するシーンは、僕からすればマンネリでしかないんです。
ジブリ作品の結末って、今回の件は終わりました、さてこれからどうしようか…って、毎回のように曖昧な終わり方をしますよね。
その「これから」は、映画を見終わったあなた達が考えて実行して下さいね、って その説教染みたところがジブリ作品を観終わってスッキリしないところなんですよね。