魔球 | 楽々主義

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徒然なる日々

胸にドスンとくる重い球だっていう話。

東野圭吾さんの『魔球』を読みました。

九回二死満塁。春の選抜高校野球大会で、開陽高校のエース須田が投げた球は魔球。揺れて落ちるその球には、彼の全てが込められていた。。。
大会後のある日、彼の女房役であった捕手北岡が刺殺死体で発見された。
一方で、同じ頃東西電機という企業にダイナマイトが仕掛けらる。不発に終わったものの、事件に警察が動いた。
何の接点も見られない二つの事件。刑事高間が調べていくうちに、驚愕の事実を掴む。
果たして魔球に込められた意味とは。二つの異なる事件の真相と、犯人とは。

臭さがなかった。
広義の青春ミステリには含まれるのだろうが、
その内包する現実は、およそそれからはかけ離れたもの。

どちらかというと、
ある種社会という形の見えない壁を前に、
或いは人生という荒波の中を、
耐えずもがき苦しみながら、
しかし、それでも前へ進もうとする人間の、
儚く、悲しい物語だ。

2つ事件が平行して語られるからには、
もちろん何かしらの繋がりはある。
結び付く点がどういうものか、
それがまさにこの作品の肝である。

つまびらかにされない情報は、
確実に伏線となり、
また徐々に真相へと迫る、
緊迫感を演出している。

あらゆる業を背負う18歳の少年は、
現実を前に無慈悲にも『大人』になる。
別の答えだってあったじゃないか。
その選択は誤りだ。
と、言い捨てることは容易い。

正論とは、
得てして机上の空論に過ぎない。
勝ち取るために、
犠牲にしなければならないもの。
それは対価であり、
時には悲しい結果を招く。

痛み、傷つき、
自分をも偽りながら、
他に選択肢をもたない少年の、
守りたかったもの。

表には現れない、
隠し通した、
彼だけの正義。