狩野・ゴッホ・近代美術 part2 | マハロでコネちゃんのブログ

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なんでもかんでも自由自在

七条から三条へ移動。ゴッホ展が開催されている京都市美術館へは何度か訪れたことがあるので迷わないだろうと思ったけど、やはり迷う。

忘れてはいけない、私は天才的方向音痴なことを。。

平安神宮のサインを目印に、そして疎水沿いの美しい桜を頼りに、、なんとかたどり着く。

平安神宮辺り、もう異常なほどの人人人でした。これ週末なら終わってますやんほんま。

と、別に私の平安神宮でも桜でもないのにブツブツ思いながら京都市美術館へ。

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なんと、ゴッホ展とリヒテンシュタイン展を同時に開催するという無謀?大胆?な試み。

なぜ?

なぜ重ねてきた?

リヒテンシュタイン展だけじゃダメでしたか?

リヒテンシュタイン展も去ることながらやはりゴッホ展でしょう。

二手に別れたチケット売り場、迷わずゴッホ展の方へ。

何年か前に大阪でゴッホ展があった時、平日にも関わらずの超満員で人ごみを避けていたら何時の間にか展示スペースを出てミュージアムショップに行き着いていたという屈辱をはらすがための今回のゴッホ展(?)

ゴッホ展のチケットはちなみに普通の学割しか使えなかったです。ま、そやろね。いや、それだけでもありがたい!?

今回のゴッホ展、やはり多い。もう展示スペース入り口から人混みのブロック。やはり遠目からの鑑賞。

このゴッホ展はゴッホの有名処は来てないけど、美術館の試みは面白かったです。

教育的試みですかね?すごい面白そうなんですけど、人が多過ぎて説明書きに辿り着けない悲しさ。

このゴッホ展は美術館が提示するゴッホのテーマに触れることができない時点で今回もアウトかと。

まだ強引に押し出された大阪のゴッホ展ではメインがかなり来てたので遠目からでも楽しめたのですが、今回は遠目で楽しむほどの作品は来ていない模様。

ま、有名な作品ばかりがすべてではないけどゴッホがゴッホたる作品を描く前のゴッホの作品て、、なんかすごくまともで。。

ゴッホは精神的に退廃すればするほどなんともいえない彼らしさがスパークする、、そういう作品が好きな私にはまともな時期のゴッホはやはりあまり興味がないです。

先の狩野しかり、虎に興味があるけど他はスルーもあります。

でも絵の見方は人それぞれ。

ゴッホは生き方の強烈さのエピソードが先行してるが故に、なんかそれから外れる作品を見るとテンション下がるとこもあるのが事実。

でもでも今回はメインゴッホを外れたゴッホが主旨なんやったら仕方ない。

空白のパリを追う、ていうサブタイトルもついてるし。

だからアルル以降のゴッホを期待してはいけないんやろけど、やはり期待してしもた。

悲しいまでに狂おしいまでに黄色に固執したゴッホ像を期待してもた。

でも今回ゴッホ展に来た人は真剣に空白時代のゴッホの作品を見てはった。説明書き読んではった。

皆、ゴッホが好き。有名じゃないゴッホも好き。悲しい一生を送ったゴッホが好き。悲しい人生のゴッホやったからこそ好き?なんかな。

でも私は思う。

やはりゴッホには生きてる時に幸せになって欲しかった。

こんなに生きてる間に何にも恵まれなかった人はそうそうおらんで。

印象派の画家にはスルーされ、好きな人には振り向いてもらえず、絵も売れず、親友と思ってたゴーギャンにも見捨てられ。

で、死んでから億の価値がつく画家になるなんて皮肉やわ~。誰のイタズラ??

ないわ~(-_-;)

私はゴッホの人生をすごく悲惨に思い同情はすれども、自分は生きてるうちにすべてを謳歌したピカソの人生がやはりいい。

しかし、一瞬の綺麗さを存分に味わってパッと散る桜が好きな日本人、判官びいきな日本人の心情に1番訴えてくる画家はやはりゴッホなのかもしれません。

ゴッホ展は十分満喫できなかったけど、ゴッホの心に勝手に寄り添う機会が持てたことがよかったかもです。

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多分週末やGWは激混みでしょう。

あえてリヒテンシュタイン展に行くのもいいかもです( ̄▽ ̄)。。



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