大学時代の友人の結婚式に行ってきた。


すごく当たり前のこと。結婚すれば、家族が増えるのだ。

自分の結婚相手以外にも、血が繋がっていないとは言え、家族が増えるのだ。新たな父、母、祖母や祖父。血の繋がっていない血縁関係のような親族が増えるのだ。


以前、読んだ本で、血縁関係の一面を鋭く突きつけられるような表現があった。


血の繋がった他人。不幸のみを共有する。

この表現は、血縁関係者のある一面でしかないけれど、そのように感じることが多いのも事実だ。おそらく共有するものが多すぎて、もしくはその関係において生まれるはずだという幸福への過信によって、不幸を強く感じてしまうのだろう。面倒なことをも共有することはなかなかできることではないのに、その当たり前のことにさえ気づかなくなってしまう血のつながりに対する依存でもあるのだろう。


結婚に対して、もしくは血縁関係に対して悲観的過ぎるという反論を承知したうえでも、以上のことを踏まえた上で、僕は彼女に結婚しようとはなかなか言えなそうである。何かを共有する人間を増やすと結婚は、人として生まれそして死んでいくこと、に次ぐような大きな出来事であるようだ。