犬に慰めてもらうことがよくある。話しかければ、不思議そうにこちらを見つめているだけだが、こちらがナーバスになっている時などには見透かしたようにそばに来て体を擦り付けながら横になる。僕の気持ちを汲み取ってくれているのだろうかと、犬を顔を覗き込むと、得意そうな顔をして主人の顔を見上げている。

僕は―イングマルやすみれがライカ犬を想ったように―想う。この犬には僕とその家族しかいない。他には会いたくなる相手さえいないのだ。犬は、寂寥を味わずにすむのならば、それなりに幸せといえるのかもしれない。犬は寂寥を感じないために足ることを識ったのかもしれない。

この犬がうちに来たときには、随分と世話を焼いたものだった。子犬ながらに気性が荒く、我が家で飼ってきた犬に比べても躾けるに手がかかった。今でもやんちゃをすることはたまにあるけれど随分と大人しくなったものだ。それでも、人の輪からはみ出していると感じると甘えた声をしきりに出しているけれど。



時は流れ、あいつは「マテ」ができるようになった。