チェコの作家、ミラン・クンデラの作品である。

この作品は以前から知っていて、いつか読もうと思っていた本だった。そのいつかは、僕とって、そのうちの“いつか”ではなく、特別な“いつか”だったのだ。

その本を知ったときに、内容もよく知らないのに、昔の僕はその哲学的で深遠な意味を持ちそうなタイトルに臆してしまった。その本を読む機会をてぐすねをひいて待つのではなく、読むためにはある種の知的体力を必要とするのだと身構えたのだ。その本は読む者に基本的な哲学や知的教養を要請するのである、といった風に。恥ずかしい話である。

機会(単に量販的古本屋で安くで売っていたという陳腐な!)があって、その本を読み始めた。知的劣等感は少なからずとも残っていたが、以前よりは僕の知性(!)も随分マシなものになっているであろうという無根拠な楽観的姿勢から、かのミラン・クンデラが解禁されたことは白状しておこう。

いざ読み始めてみると、恋愛小説であった。現在読中で、結論付けることは避けられなければならないが、いささか肩の力が抜けてしまった。蛇足ながら付け加えておくと、ものすごく面白い作品である。愛についての言及や男性性と女性性の著者の鋭い視線などは特筆すべきものである。もっと、若い頃に読んでおけば僕のバイブルになったであろう。

しかし、「ミラン・クンデラ」と「存在の耐えられない軽さ」は僕にとって何かシンボルのようなものであった。知的教養を身につけないと読みこなせない、現在と異なる位相にある書物であるはずだったのだ。そして、僕の知性は、テレザが田舎町で夢見たように、より高きに登るはずだった。この書はその期待に応えうるであろうか。

もちろん、どんな本もこの思いと遂げることができないことをわかっているつもりだ。ばかげたロマンスなのだろう。だが、ないとは知りながら(知性へと駆り立てるものが僕の知的好奇心によるものだと認識しつつも)、幻想的な夢をかなえる本を追い求めて、僕は本を読み続けるのだろう。

ミラン クンデラ, Milan Kundera, 千野 栄一
存在の耐えられない軽さ