こんばんは。

もうすぐおはよう。

気持ちが天気に影響しやすい林檎です。

皆さん、いかがお過ごし?





















林檎にとって最後の冬休みが先日から始まりましたの。


そう、今年は学生生活最後の年。


まだ21年とちょっとしか生きていない林檎には、


始まりの経験はそこそこあっても、終わりの経験はほとんどない。


もっともっと大切に過ごしたいけれど。


林檎にとっての大切なんてまだよくわかっていなくて。


寝て醒めるまでの時間すら惜しむくせにダラダラ過ごしてみたり、


会いたい人と僅かな時間を一緒にいるのに駄々をこねてみたり、


努力したいと口では言うくせにその実何をやっても気が入らなかったり。


そうして積み重ねる時間は、砕けた角砂糖のよう。


なんとなく甘いだけで、あっという間に零れちゃう。


林檎のシアワセはどこへ行っちゃったの?




















なんてね。


今は充実そのもの。


やりたいことをする時間があって。


十分に退屈する時間があって。


会いたい人と過ごす時間がある。


これを充実と呼ばなかったら、何を充実というのかしら。


ってくらい、満喫しているはず。


ってくらい、見栄を張ってる自分。


角砂糖1つじゃとっくに満足できなくなっているくせに。




















林檎は弱いいきものだった。


それが嫌で嫌でたまらなくて、自己暗示を覚えた。


習得するのは容易かった。


自分に嘘をつくのは得意だったから。


もしかしたら、それは生まれたときから自己暗示をしていたということなのかもしれない。


底抜けにポジティブで。


心配性で不安癖があって人目を追ってるネガティブで。


本心はこんなふうにデコボコ。


奇麗に整えられたたった5グラムの角砂糖に憧れた。





















やがて強くなった(かに見えた)林檎は言葉を武器にした。


狂言回しのような口先と貼付けた薄気味悪い表情で闘った。


大人に負けたくないと意地になっていたら負けなくなってた。


そんなものを望んでいたのではないと今更気づいてしまった。


そうして周囲の人にすがるように生きる人になってしまった。


本当は林檎は弱っちかった。


角砂糖は気づけばもうない。





















そうして手にした大人になれるかもしれない紙きれ。


契約とか報酬とか条件とかがたくさん書いてある資料。


捨てたくても捨てられないし、逃れられもしない大事な紙。


このまま大人になれたらどれだけ楽だったか。


それを遮るように、子どもの林檎を引き止める人が現れた。


このまま大人になれたらどれだけ幸福だったか。


そんなモラトリアムに浸ることも時の経過に気づくこともなかった。


こんな大人にならなかったおかげでどれほどシアワセか。


この手を離さないでいてくれる人がいることに今更気づけた。


こうして年をとってゆくんだね。


くだらないことをぐるぐるぐるぐる


解決のしないことをもんもんもんもん


退屈なはなしをえんえんえんえん


大好きなシアワセをだらだらだらだら


抱えて満喫して憂いて。


砂糖の甘みがぎゅっと詰まった角砂糖みたいに。
























なんてね。


ああ、こんなに甘くするつもりじゃなかったのに。


角砂糖5こはさすがに甘い。


でも、こんなのも飲める程度にはまだまだ子ども。





寒空の下

柔い吐息で指先を暖めて

今宵も待ち続けるの。

夢を見る数で

聖夜までのカウントダウンをして

びくびくしながら

でも、わくわくしながら。

ねえ。

早く会いたいよ。

わたしの大好きな人。


school_girl







林檎の周りのあちこちで反響や反論を呼ぶ言葉。













「希望」















「望みを薄めたものが希望」なんてみすぼらしい冗句があって、

それを笑う人も悲しむ人も怒る人もいるみたい。

この冗句は割と有名だよね。

林檎のブログでもつい最近登場したっけ。

でもこれ、何も知らずに言っているとかなり痛々しいね。

というか、もはや恥ずかしいような。

だからその真意は一度お調べになってみて。







そうだね。

じゃあさ。

ここでは、そんなふうに言葉を巧みに使い回す大人たちは知らない、

隠れた御伽話を教えてあげようか。

子どものときにしか聞こえない御伽話を。























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昔々あるとことに、二人のお侍がいたの。

彼らは永遠の宿敵であり、やがて、決闘の時はきた。

しかし一方のお侍は、決闘に1本の木の棒を持っていった。

もちろん刀がないわけではないのに、たった1本の木の棒だけを持って。

決闘相手はもちろん怒った。

こいつは自分を馬鹿にしているのか、と。

そして決闘相手は悩んだ。

こいつはもしかして木の棒だけで勝つ程の実力を身につけたのか、と。

やがて決闘相手は意気消沈した。

悩んでも怒っても無駄だ、こいつは闘うことをやめたのか、と。

結局決闘は流れてしまった。













最後に決闘相手は尋ねた。

「なぜ棒を持っているのだ」

彼は答えた。




「死ぬのは怖い。棒くらい無くては未来なんてないだろ?」




決闘相手は更に訪ねた。

「ならばなぜ刀ではなく木の棒を持っているのだ」

彼は答えた。




「刀があるとお互いが傷つく。自分だけじゃなく、相手や相手の家族、そして命までも。」















このお話はやがて広く語られることになり、そして2つの言葉が生まれた。













木の棒から平和が訪れたことから。木の棒→きのぼう→「希望」


棒すら無いことは命知らずな無茶なことから。棒が無い→むぼう→「無謀」


そして、「無謀なことでも希望を持てば未来は変わる」と人々が夢を抱いた。


















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ね、ちょっと素敵じゃない?

日本語はね、意味言語であると同時に音言語だから。

由来が音に依存することもあるんだよ。








ちなみにね。

「希」という字から【まれ】という意味を引き出しているのは、由来は当て字。

「稀」という字が常用漢字じゃないから、「希」で代用しただけ。

ちなみにね。

本来「希望」という言葉は中国語で、その由来に日本は触れていません。

だから訓読みの「稀(まれ)」という意味は反映されないよ。

ちなみにね。

中国語で「望みが薄い」というときは「希望薄」と書きます。

ね、「希望」という言葉にそんな悲しい意味なんて込められていないでしょ?

















安心して。

日本語が大好きで夢を見る林檎は、まだまだ子どもだよ。

甘くて優しい物語も声も聞こえるもの。



二人で積み上げるものが希望なんだよって。














なんてね。




あ、反論ある?

そりゃあるよねえ。こんな生まれたての御伽話じゃあね。

なんてね。