Let's "FANCRUISE"!!

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株式会社FANCRISE
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夜行バスの移動を快適にするために「フルフラットシート(180度ペタッと倒れるシート)」を開発した企業さんが話題になりました。

 

普通に考えれば、ただでさえ狭いバスの中で、ペタンと倒れるシートを作るためには、通常の倍ほどのスペースが必要になりそうです。スペースを確保すれば座席数が減少してしまうため、1台に乗せる事のできる乗客数が減る=売上も減ってしまう・・・逆に、座席数をギリギリまで増やそうとすれば当然1席あたりの面積は狭くなるので、快適さはどんどん失われてしまう、という事になります。実際、長距離バスに乗る際に安いと座席は4列シートであるケースが多いですし、セパレートの3列でゆったり座れるシートだと新幹線より高い価格設定だったりします。

快適で、かつ座席数も減らさない。そんな相反する希望を叶えるために創意工夫を繰り返し、特殊な形のシートを作り上げてしまったそうです。実際に180度フルフラットまで倒れるため、快適に寝られそうです。
 

 

この企業さんのストーリーで痛快だったのは、国土交通省に許可を取るための電話をする際に「フルフラットシートを作ってもいいか?」というダイレクトな質問をせずに「バスシートのリクライニングは何度までと決まっているのか」という質問にして、「特に決まりはない」→「180度でもいいですね?」→「まあ、そういう事になりますね」という流れでOKを引き出した事です。真正面から「YesかNoか」と突きつけるような質問をすると、役所仕事ではリスクを負う事を嫌がるのは間違いないわけで「よくわからないから、やってみましょう」とはならず「よくわからないし前例もないから、ダメです」となってしまいそうです。なので「どこまでならOKですか」という質問に変える事で、「どこまでしかダメだというルールはない」という言葉を引き出す事に成功できたのでしょう。作戦勝ちですね。

最後に許可を取る際も、「模型では判断できない、実物を見せて」という返答しか得られず、1/1サイズの実物を作ってアピール、「ダメとは言えない」という言葉を勝ち取って無事に実装に至ったそうです。お役所を相手に仕事をする際には、この考え方はとても有効なのですね、勉強になりました。

 

一度、ぜひこのフルフラットシートの長距離バスに乗ってみたいものです。

 

 

ChatGPTが東大、京大の入試問題に挑戦して全受験者の中の最高得点を上回り、いわゆる「首席合格」を果たしたというニュースが話題になりました。24年度の東大入試では、全科目不合格ラインだったというので、たった1年でものすごい進化を遂げた事になります。記憶力が良く、計算できる“チャッピー”がなぜ不合格だったかの方が気になりますが、それにしても賢くなってきたわけですね。

 

単なる計算問題、暗記問題ではなく論理的思考を問われるような問題もクリアできるようになったのでしょう。数学では満点、英語も9割の正当率を叩き出したそうです。一方で、世界史の論述問題は3割以下しか正解できず、課題が残ったとの事。おもしろいものですね。論述問題では記憶している年号や登場人物を羅列するだけではダメで、設問に沿って原因と結果を接続していく説明が必要になります。その説明文を組み立てる能力が、まだ欠けていたという事なのですね。

 

それにしても、AIがここまで進化していくと、いよいよ人間が担ってきた役割の多くが代替されていく事になりそうです。
”チャッピー”は基本的に肯定的な会話を行う仕様になっているそうで、悩み相談をしているうちに恋愛感情を育んでしまい、AIと結婚したいと希望する人が増えてきた、という話題もありました。恋愛相手までロボットにリプレイスされるとは・・・SF小説の世界観が、そのまま実現してしまった感じです。

 

こうなると、今後の学校では「知識の総量を測るだけの試験」には価値がどんどん消えていく事になります。どれだけ頑張って詰め込んでみても、AIには絶対勝てませんから・・・。そんな賢くなったAIをどう使いこなすか?課題を設定して、解決のために「AIを駆使する力」などは、人間が担うべき役割となっていく気がします。今でも既に、『プロンプトエンジニアリング』=AIから意図通りのアウトプットを引き出すための指示文(プロンプト)を設計するプロセスの事ですが、そんなスキルを持つ方はかなり重宝されているそうです。当然ですよね。

 

そして、どこまでいってもAIには感情がありません。感情があるフリをして寄り添ってくれたりはしますが、心の奥底から湧き上がる「感情」を持つ事が、どれだけ進化しようとAIが人間を上回る事ができない決定的な要素であり続けるはずです。「嬉しい」「楽しい」「悔しい」「悲しい」こんな感情を吐露するシーンを創出するのは、100年後でもまだ人間の役割である・・・あってほしいなと思います。古臭い考え方なのかもしれませんが、ロボットがどれだけ上手な絵を描いても、人間の描いたもの程感情移入はできないでしょうから・・・。



 

 

そういえば、自分が小学生の頃は、校庭の端っこに飼育小屋があって、そこにはウサギやニワトリ、クジャクなどが暮らしていました。今は日本全国、生き物を飼っている学校なんてほとんどないと思います。
夏休みとか、長期休みの時はどうしていたのか・・・きっと先生も生徒も当番制で、交代で餌やりに登校したのでしょうね。

動物の生態に詳しい先生ばかりではないので、ウサギが異常繁殖してしまったり、ニワトリが産んだ卵を放置してしまってヒナが孵化しすぎたりといったトラブルもたくさんあったそうです。鳥インフルエンザなども怖かったでしょうね。掃除して、餌をあげて、手間もお金も相当かかっていたはずです。それでも当時は当たり前のようにどの学校にも飼育小屋があったのは、不思議な気がします。なぜクジャク?というのも、諸説あるようですがはっきりした理由は今となってはもうわからないそうです。“九徳をそなえる瑞鳥”として縁起がいいからと言われているようですが、そんな理由だけであんな動物を連れてこれたのでしょうか・・・。

子供たちの教育という観点では、生きた動物を目の当たりにして、自分たちで餌やりをしたり触れ合ったりして学ぶという、素晴らしい機会があったわけです。今と違って公園などで虫取りをしたりする機会も、たくさんありましたよね。僕自身も、ザリガニ、カエル、亀まで近所の公園の池や川で捕まえて遊んでいた記憶があります。今は気持ち悪くて触れないと思います・・・。

トラウマになった出来事もありました。アマガエルを何匹か捕まえて虫かごに入れていたのですが、トコトコと歩いてきた野良ネコが、きっとお腹を空かしていたのでしょうね、突然そのカエルを食べ始めてしまいました。ところが、数分後にすべて吐き出してしまったのです。まだピクピクして形を残しているカエルが吐き出された姿を見て、ものすごくショックを受けました。そこから具体的に何を学んだのか、と言われると説明するのが難しいところですが、すべての動物が「食べて生きている」という、当たり前の事を目の前で見せつけられたのが衝撃でしたね。今時の都会の小学生は、そんな衝撃を味わえる機会は少なくなっているのではないかと思いますが、代わりに学べる場面もあるのでしょうか。


今後、子供たちはますます自然との触れ合いが少なくなってしまうでしょうから、生物との関わりの中で我々人間も生かされているのだ、という事を学ぶ時間をもう少し作ってもいいのではないか、と思い出した次第です。そんな事を書きながら、もし自分の子が「セミ取りに行きたい」なんて言い出したらギョッとしてしまいますが・・・。