今晩は

来てくれてありがとう。

最後まで見ていただけたら嬉しいです。

今日は、日本人アーティストを応援してください。

今アマゾンプライムでTOBEのライブを見ながらなんだけど、

下の記事が気になったので先にアップしました。

今日はTOBEのライブ見終わったら通常に投稿するつもりです。

 

★文春オンラインより

『日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。』より #1

★★罵声を浴びるんじゃないか」韓国人100人の中に日本人1人だけ…日本人K-POPアイドルが明かす韓国オーディション番組の裏側

「罵声を浴びるんじゃないか」韓国人100人の中に日本人1人だけ…日本人K-POPアイドルが明かす韓国オーディション番組の裏側 | 文春オンライン (bunshun.jp)

 

★文春オンラインより

高田 健太 によるストーリー

★★ 韓国の芸能事務所と裁判→6600万円の賠償命令→所持金110円に…日本人K-POPアイドルが明かす「契約解除訴訟」の顛末

〈 「罵声を浴びるんじゃないか」韓国人100人の中に日本人1人だけ…日本人K-POPアイドルが明かす韓国オーディション番組の裏側 〉から続く

 2017年に韓国で放送されたオーディション番組「PRODUCE 101 Season 2」に唯一の日本人として出演し、日本人K-POPアイドルとしてグローバルに活躍してきた高田健太さん(29)。現在は、「KENTA・SANGGYUN」というデュオで日韓両国で活動している。

 ここでは、そんな高田さんが今年1月に上梓した初の著書『 日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。 』(KADOKAWA)より一部を抜粋。2021年、契約問題を巡り所属事務所を提訴し、勝訴したものの、約6600万円の損害賠償の支払いを命じられた経緯を紹介する。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)

日本人K-POPアイドルの高田健太さん

日本人K-POPアイドルの高田健太さん© 文春オンライン

 

「自分たちが壊れてしまう」大きくなる会社への不信感

 夢を追いかけた末に待っていたのは、6600万円の借金だった。

 いつ頃からか、僕は会社に対する不信感が大きくなっていた。約束が守られない状況の中で、待ってほしいとだけ言われ続けていた。会社との信頼関係が良好であったなら、僕らは待っていたかもしれない。でも考えてみれば、練習生の時に、会社にあった僕の荷物も必ず返すから待っててほしいと言われたまま、まだ返ってきていない。

 会社が目先の利益だけを求める経営を続けた結果、数年間マイナスが続き、僕らは無給で働いた。なんとか改善しようと意見を出しても状況が変わることはなく、そんな経営が3年ほど続いた結果、最終的には給料の未払いで社員はいなくなった。多くのことは語れないが、僕が会社にいた5年間で会社に対する不信感がいい方向に変わることはなかった。そして僕らの精神的な状態も悪化していき、このままでは自分たちが壊れてしまうと思うようになった。

会社を出ることを決断した理由

韓国の芸能界は、標準契約書という国が定めた契約書を基に、アーティストと会社が協議を行い契約をする場合がほとんどである。ただ練習生という立場で会社を相手に協議をするのはほぼ不可能なことで、場合によってはアーティスト側が不利になる契約を交わすところも実在する。契約期間も日本の芸能界とは違い、少し長い場合が多いのだが、それは会社がアーティストに対するケア、育成などの投資をする規模が大きいことから、相互に利益をもたらすためには長い期間が必要なのだと思う。

 ある時、僕らは会社を出ることを決断する。もちろん理由はいくつもあるが、会社が訴えられたことが1つの原因になったことは確かだ。百歩譲って、会社が訴えられても僕らには関係ないかもしれないが、社員がいない状態でグループを運営できるという保証はなく、僕らに対する説明を求めても答えてもらえない関係がクリーンな関係とは言えないだろう。お互いが歩み寄ろうと努力しない限り良好な関係は築けない。この時、自分のことは自分で守らなければ誰も守ってはくれない、と本能的に感じた。

契約解除を求める裁判が始まったが…

 会社を出ようと決断した時、僕の契約期間はまだ3年ほど残っていたが、契約満了まで体調を崩しながら過ごすよりも、会社を出るほうが僕らには正しい、そう判断したのだ。この時から、契約解除を求める法廷での裁判が始まった。

 法的処置を取る際、周りからのバッシングやあることないことを言われる覚悟をしたほうがいいと聞いたことはあった。それなりに覚悟はしていたが、実際に裁判が始まり記事が出ると、その一言一言は、思った以上に心にくるものがあった。それは自分で決めた道なので自業自得と言われればそれまでだが、周囲の関係者にかけられる言葉が僕らの心をさらにえぐった。3年くらい我慢すればいい。会社を出ないほうがお前らのためだ。こういった意見だった。

 僕らがどんな環境にいたのか、どんな実態だったのか、分かっているはずの人たちの言葉。ましてや芸能関係者であれば、今の芸能界に広がる闇と呼ばれる部分も知っているはずなのに、その人たちから発せられる言葉に、奴隷のままでいなさい。そう言われているように感じた。

 その人たちの本心は分からない。心から僕たちのことを想って言ってくれた言葉だったかもしれない。でもその時の僕らにとってその言葉は、とても冷酷で無慈悲であると感じてしまった。追い打ちをかけるように、裁判官の一言が僕らの考えていた正当性を崩すことになる。「アーティストと会社は親子関係と同じなのではないか。会社の経営が大変なのであれば、アーティスト側が理解する必要があるのではないか」この言葉をどう受け取るかは、この本を読んでくれているあなたに託したいと思う。

夢を追いかけた先に約6600万円の借金ができた

 訴訟は1年半以上にも及び、判決は一部勝訴となった。僕らが要求していた契約解除は認められ、被告側が僕らに要求していた損害賠償金約30億ウォン(日本円で約3億4千万円)のうち、約8億8千万ウォンの支払いが僕らに命じられた。残っている契約日数によって、僕は約6600万円の借金ができた。これが法の下した答えだった。

 僕が夢を追いかけた先に借金ができた結果を見た時、会社を出たことは正解だったのだろうか。そして、借金ができた理由は僕たちが悪かったからだろうか。金額という可視化された情報だけを見ると、僕たちに非があったと捉えることもできるだろう。正直言って、とてつもなく悔しい。けれども法の上ではそれが事実になってしまう。

 ここで僕が間違った事実だと、真実を全て告白したところで、それが変わることはない。ただの感情の争いになってしまうだけだ。だからこの文章も、どこか抽象的で情報が伝わりづらくなってしまっているかもしれない。それでも芸能界にこびりつく不透明な何かを、本という媒体を通して伝える価値は十分にあると思った。答えは僕の中にあり、あなたの中にある。そう信じている。

突然、口座が凍結され、クレジットカードも使えなくなった

 話がずれたが、一審が終わってから半年ほど経った頃、突然、僕らの口座が凍結した。判決に基づき、法的に口座が仮で差し押さえられたのだ。文章で見るとすごく重く感じるが、僕らは笑っていた。まず、夢を追いかけて海外に来たら借金ができたことだけでも笑えるのに、なんの前触れもなく口座が凍結され、クレジットカードも使えなくなり、キャッシュレス社会である韓国で現金生活になったのだから笑うしかないだろう。韓国語で言えば「オイオプソ」(飽きれる)という言葉がぴったりな状況であった。

 この日から現金生活が始まったのだが、口座にあるお金も引き出すことができないので、手持ちの現金がない。友人に数万円を借りて、とりあえず日持ちする食材を買った。お米があれば死なないと思ったのだ。当然、その数万円はすぐに底を尽きた。一時の所持金は1000ウォン(約110円)だけになり、どうしたものかと思っていたけれど、周りの友人や知人が食材を送ってくれたりご飯を奢ってくれたりしたおかげで、今日こうしてこの本を書くことができている。助けていただいた方々には、この場を借りて心から感謝を申しあげたい。

 人生はおもしろい。

 たとえ所持金が1000ウォンだけになったとしても、なんとかなると自分を信じていれば、必ずいい方向へと進む。

 その過程で、正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとか、物事を分けてみたり重ねてみたり、試行錯誤しながら自分なりの正解を見つけ出そうとする。そして、問いや答えが混沌としている人生をシンプルに整理しようともがき苦しむ。きっと死ぬまでそうやって生きていく。

 だから人生はおもしろい。

情報を受け取る側は情報を選択する技量が必要

 皆さんは、見えるものが全てだと思っているだろうか。

 この場で言う「全て」とは正しさのことを意味するが、例えば、空気がこの地球に存在することは誰も疑わない。でもそれは目に見えていない。ではなぜ、空気が存在することが正しいのだろうか。それは、情報によって可視化しているからだろう。目に見えると人は安心することができる。だから正しさを求める。

 でもそこに本当の安心は存在するのだろうか。僕は、安心を求めて信じた先に待っているものは絶望しかないと思っている。何かの情報を安心するためだけに信じるよりも、情報を自分なりの知識に変えた時、その先に安心が待っている。だから受け取る側は情報を選択する技量が必要であると言える。

 普段、目にする情報の多くは、メディアを介して受け取ることができる。目に映る情報を選択し、どう受け取るかは人それぞれの自由であるし、情報を伝えるメディアもまた、どう伝えるかの自由がある。ただメディアが事実をどう捉えているかによって、情報の見え方が変わってくる。

訴訟の記事には「メンバーが一方的にスケジュールを拒否した」と…

 実際に僕らの訴訟の記事を見てみると、事実ではない憶測で書いてある記事があったり「メンバーが一方的にスケジュールを拒否した」と書いてあるものも存在した。

 もちろんそんな事実はないのだが、法廷で被告側の主張として議題に上がったことは確かだ。では、僕がこの本で話してきた内容を一度忘れて、記事の内容だけを見たとする。あなたは僕らのことをどう考えるだろうか。きっと、メンバーに問題がある、メンバーが会社を裏切った、そう判断するだろう。実際、ネットでは僕が挙げたような判断をする人も多かった。

 反対に、この本を読んだ状態で記事を読んだ場合はどうだろう。情報を比較してあなたなりの答えを導き出すはずだ。たとえそれが「メンバーに問題がある」という答えのまま変わらなかったとしても、あなたの中で「メンバーが一方的にスケジュールを拒否した」という情報を一度考えたということに意味がある。これは、リテラシーの根本にある「情報を与えられる度に自ら考えること」ともつながってくるのだが、考えて終わるのではなく、その情報を与えているメディアの性質を理解し選択することまでを受け取り側がする必要があると僕は思う。

例えるならば、情報を料理、メディアを料理の提供者と置き換えてみる。料理が出てくるのを待つだけで、与えられた料理も口に入れて飲み込むことしかしない人よりも、料理を作っている人の味の好みを調べ、それを知った上で料理を味わう人では、その料理のことを理解する上で雲泥の差が生まれる。

時と場合によって各メディアの情報の見え方が変化する

 僕の実感では、料理を味わって自分の感じた意見を言う人は多くても、料理を作っている人の味の好みまで調べている人は少ないように思う。つまり、メディアの性質やメディアがどう捉えているのかを考える人はそう多くないと言うことだ。実際問題、私生活が忙しければ、そんなことまで考えている時間などないと思うかもしれない。けれど各メディアが持っているエンターテインメント性がどのくらいあるのかを知るだけでも情報の捉え方が変わる。

 テレビはエンターテインメント性が強いこともあり、ニュース番組を見ても情報を誇張していることが多い。そしてコメンテーターの感情も相まって受け取る側の判断を鈍らす。一方、新聞記事などを見ると、文字と写真で綺麗に要約されているから淡白な受け取り方ができる。どちらが優っているとかの話ではないが、時と場合によって情報の見え方が変わることは確かだから、受け取る側はそれを知った上で判断することが大事だろう。

 そうして情報を自分の知識に変えることができれば、メディアやエンターテインメント、さらに言えば社会ともいい距離感を保てる人生が待っていると思う。

(高田 健太/Webオリジナル(外部転載))

 

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